心の傷を、癒す風
翌日も、その翌日も、は学校に来なかった。母親の話によると、ふらりと起きてきて、気持ち程度の朝食をとり、ふらりと家を出るのだという。
だがが向かう先は学校ではなく、精市が入院している病院。そして、がそれを繰り返して、三日がたった。
真田は、切原を連れて精市の病室を訪れた。以前と変わらぬその光景に、眉をひそめる。
「」
真田が呼ぶが、反応は無い。看護師たちが呼んでも、反応しないらしい。ただふらりと来て、一日中そこに居て、ふらりと帰るの繰り返しなのだそうだ。
「」
近づいてみるが、やはり反応は無い。
「・・・お前がそんなことでどうする」
真田の声のトーンが下がる。
「お前が俯いていてどうする!幸村の為にも、我々が前を向かねばならんだろう!!」
病院だということも忘れているかのように真田が声を荒げる。個室で周りの病室も人が少ないのが幸いだ。
だが、そんな真田の声もには届いていない様だ。は変わらず、虚を見つめている。
「・・・・・」
真田がため息をついて、に背を向けて歩き出した。
「ふくぶちょ・・・!」
「・・・お前なら、あるいは・・・」
「え?」
病室の入り口で立ち尽くしていた切原とすれ違う時、真田がぽつりとこぼす。その意味を確認する暇もなく、真田は歩き去ってしまった。
残された切原は、病室内を数秒みつめたあと、の傍に歩み寄った。
「・・・先輩」
切原が呼ぶが、真田の時と同じく反応は無い。
「先輩、学校、来ましょうよ。みんな、待ってるっスよ」
「・・・・・」
「俺・・・先輩がいないと、なんか調子でないんスよ・・・こんな事言ったら、真田副部長に怒られそうだけど」
ちらり、と様子を伺いつつ話すが、こちらを向く気配はない。だが、切原はあきらめなかった。
「ねぇ、先輩。幸村部長は、こんなこと望んでるんスか?こんなふうに、ずっと、じっとしてるの」
「・・・・・」
「望んでる訳ないと思うんスよ。部長は、先輩に、笑ってほしいって言うに決まってる。・・・俺だって」
じわり、と目が熱くなってきた。
「俺だって、先輩に笑ってほしい。こんな・・・こんな先輩見るの、ツライっス・・・笑ってくださいよ、先輩・・・。俺は・・・」
ぽたり、と、ひとつだけ雫が落ちた。
「俺は、笑ってる先輩が好きっス・・・」
言いきって、鼻をすすりながらごしっと目をこする。と、前方の影がふらりと動いた。
「せんぱ・・・い!?」
少しだけ大きくなった肩に、の肩が寄りかかる。
「・・・こわいの」
三日ぶりに聞く声は、やけに懐かしく思えた。だがそれもか細く、覇気がない。
「精市が・・・このままだったら、どうしようって、考えちゃって、こわいの・・・」
ぎゅっと切原の制服を掴むその手は震えている。
「なんで・・・?なんで精市なの・・・?なんで・・・?」
「・・・・・」
切原は何も言えず顔を歪めた。
「なんで精市なの!?なんで・・・!?」
「先輩・・・」
「私なら・・・」
ふ、と、嫌な予感がした。
「私がなればよかったのに!!!」
気づけば、その細いからだを押し離して乾いた音を響かせていた。
「すいません。でも、それは違う。違うっスよ。幸村部長は、そんなこと望んでなんかない。自分の代わりに先輩がなってしまっても、部長は喜ばないっス」
が、再び切原の肩に頭を押し付けた。少し、震えている。
「大丈夫っスよ、部長なら。信じましょうよ、俺らの部長を。・・・先輩の、弟さんを」
「・・・・・」
の顔が、ゆっくり、持ち上がる。久しぶりに、目が合った。
「・・・だよ、ね・・・うん・・・ごめん、赤也」
「・・・いや、俺のほうこそ、その、叩いちゃって・・・!」
は、ううん、と首を振って、顔を洗ってくると病室を出て行った。静かになった病室に残された切原は、ドアを見つめていた。
「ありがとう、赤也」
「・・・ッ!?えっ!?ぶっ、部長!?」
後ろから聞こえてきた声に、切原は驚いて振り向いた。
「え・・・目、覚めてたんスか・・・?」
「・・・本当は、最初の日に意識は戻ってたんだ」
「けど、先輩のあの様子だと・・・」
三日間ずっと眠り続けていると思っていた感じだ。
「さっき赤也に言ったみたいなことを直接俺に言われても、なんて答えたらいいかわからなかった。むしろ」
が言った事を、肯定しそうで怖かった。
精市の思いを読み取ったのか、切原は無言だった。
「・・・だから、赤也に任せた。赤也だったら、を前に向かせてくれるだろうと思ったから」
「部長・・・」
「まぁ、まさか叩くとは思ってなかったけどね」
「あ、いや、あれは、その・・・」
わたわたと切原が慌てる。精市が小さく笑った。
「いいんだよ、必要な事だったんだから」
「・・・・・。そうだ、部長。その・・・どう、なんスか?」
切原が濁したことを読み取り、精市の表情が少し陰る。
「・・・俺はまだ検査結果を聞いていないからわからない」
「・・・そう、スか・・・」
「ともあれ、ありがとう、赤也。俺は・・・すぐには、戻れそうにないけど、と立海テニス部を、頼むよ」
「・・・っス」
精市が淡く微笑む。笑い方に、力がない。思わず小さく顔を歪めたとき、ドアの方で音がした。
「精、市・・・?
戻って来たが、驚き目を見開いている。
「」
呼ばれると、ふらりとは歩を進め、ベッドの脇に膝をついた。そして、精市の手を両手でぎゅっと握る。
「精市・・・!!」
「あーあ、今顔洗ってきたんだろう?また泣いちゃ、意味が無いじゃないか」
「だって・・・!!」
握った精市の手に顔を寄せる。ツ、と精市の手に雫が流れた。
「俺、実は初日に意識は戻ってたんだ」
「え!?」
ガバッと顔をあげて精市を凝視する。精市は、申し訳なさそうな顔をしていた。
「俺じゃ、の思いに何て言ったらいいかわからなかったから。赤也なら、を立ち上がらせてくれるって信じてたし」
「部長・・・」
「・・・うん。確かに、赤也に救われたよ・・・。・・・今のは、いつから?」
「真田が出て行った辺りからかな。さすがにあの怒鳴り声じゃ起きちゃうよ」
「え゛」
なんとなく、嫌な声が出る。出したのは切原だ。やましいことをしたわけでもないというのに。精市には伝わったのか、ちらりと視線だけ切原によこした。
「」
そしてを真っ直ぐ見る。
「もう、大丈夫だね?」
「・・・うん。ごめん」
「俺の代わりに、みんなを頼むよ」
俺の代わりに。
その言葉にチクリと胸が痛んだが、はもう俯かなかった。
「うん、任せて!」
笑おう。精市の為に。笑顔が見たいと言ってくれた、赤也の為に。精市の帰りを待つ、みんなのために。
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