「龍の血じゃ、不足はあるまい?」





















『氷鬼』と呼ばれていた血みどろの少女を城に連れ帰ると、家臣たちは案の定騒然とした。を危険人物と見なし、城へ入れることを反対する者も当然のごとくいた。それでも政宗は押し切り、を城へ招き入れた。


「喜多!喜多はおらぬか!?」

「なんでございましょうか、政宗様?・・・あら?」


喜多と呼ばれた女性は、政宗に手を引かれる少女に目を留めた。血塗れの彼女に小さく目をみはったが、それが自身の血ではなく返り血だと悟ると、ツ、と政宗へ目を向ける。


「こやつは。近頃噂になっておった氷鬼じゃ」

「・・・それで、政宗様はお連れ帰りになったと?」

「うむ」


喜多は主の行動になんとも言えぬ思いを抱いた。らしいと言えばらしい、だが城主として、一国の主としてそれはいかがなものか。その意味を込めて政宗の背後に控える異母弟に目を向けると、小十郎は申し訳なさそうに頭を垂れた。止めることができなかったようだ。喜多は小さく息をつくと、再び政宗に目を戻す。


「それで、政宗様。喜多のお役目はなんでございましょう?」

「うむ。こやつの面倒を見てやってほしいのじゃ」

「面倒・・・でございますか?」

は少々、特殊でな」


自然と潜まる声に、喜多も気を引き締める。喜多は政宗の乳母だ。政宗が乳飲み子の頃からよく知っている。重要な役目を任されるほど、信頼されていることもわかっている。


「と、いいますと?」

「まず、こやつは感情が乏しい」

「そういえば・・・一向に変わる気配はありませんね」


ふとに顔を向ける。無表情のままどこを見ているかわからない視線。緊張の類かと思えば、そういうわけではないようだ。


「それを何とか知ってやってほしい」

「私にできることは致しましょう。・・・それだけでは、ないのでしょう?」

「さすがは喜多じゃな、ようわかっておる。・・・どうやらこやつは、血に飢えておるようでな」

「血に・・・でございますか」


主の前で不謹慎ではあるが、さすがに眉をひそめる。多少薙刀の腕に覚えはあるが、政宗や小十郎ほど武の者というわけではない。そんな自分に“血に飢えている”という少女の相手ができるものであろうか。


「無論、黒脛巾組を常に張り付かせておく。それに・・・おそらく城内は心配いらん」

「根拠がおありなのですか?」

「こやつは、なぜかわしの言うことはきく」


政宗がを見てその頭を撫でた。はなんだろうかと顔を軽くあげて首を傾げている。


「城内の者への手出しは一切禁じた。問題はあるまい」

「では、ほかの危険とは・・・」

「・・・城外へ抜け出すこと、じゃな。無論黒脛巾組に阻止はさせるが、できるだけ手荒なことはしとうない。おまえには常にのそばにおってもらいたい」

「・・・」


非常に重要な命と言える。問題ないと言われたとはいえ確実ではない。武士ではない自分に、命の危険が張り付く任務。普通の女中であれば震えるのであろうが、あいにく喜多は普通の女中ではなかった。


「畏まりました。彼女の面倒、この喜多が承りましょう」

「うむ、頼むぞ」


片倉喜多。彼女は独眼龍を育てた者の一人であった。



















喜多はをつれて離れに赴いた。ここはかつて、政宗が、梵天丸の頃に使っていた離れのすぐそばにある。中は常に綺麗にしてあるからすぐにでも使って問題はないであろう。


「ここが今日から貴女の部屋です」

「・・・」

「できるだけこの部屋の中で過ごしてください。出ても、この周辺だけですよ」

「・・・政宗、は?」


初めて聞いた声だった。それがまさか政宗の名だとは。しかし普通にしゃべれることがわかれば、気を張りつめすぎなくてもいいのかもしれない。喜多はと視線をあわせるようにかがみ、まっすぐ彼女の目を見た。


「政宗様は執務がお忙しいので、別の部屋にいます。終わったらきっと来てくださいますから、今は喜多とお話くださいませ」

「・・・・・・」


返事はないが、小さく頷いた。喜多はそれで意志の疎通ができたとわかると、部屋の燭台へ火をつけはじめる。部屋の外から差し込んでくる光と火の灯りで、部屋の中がだいぶん明るくなった。だがこのまま部屋でなにもせずじっとしておくのは無理だろう。なにかないものかと喜多は思案を巡らせた。おそらく部屋遊びはしたがらないだろう。してもすぐに興味を無くして飽きるのが目に見えている。だがなんにせよ、まずは召し換えだ。


、様、まずはそのお召し物をおきがえいたしましょう。いつまでも血塗れでは気持ちのよいものではないでしょう」


そこまで言ってハタと思う。血に飢えているというのは、この格好でも問題ないということなのだろうか。それはそれで喜多は気が気ではないだ。返事を待つと、しばらく間があって、「ん」と頷く声がきこえた。喜多はほっとして、にしばらく待つように言うと、湯をとりに一度部屋を出た。

















湯を張ったたらいを持って部屋に戻ると、は部屋のすみでぼんやりと燭台の火を見つめていた。喜多は部屋の中央にたらいと新しい着物を置き、に声をかける。


様」


つけられたばかりの名前を呼ばれたとわかると、が喜多の方を向いた。手招きをしてみると、とととと喜多の方へ小走りにしてくる。


「さぁ、お着物をお脱ぎくださいませ。喜多が綺麗にふいて差し上げます」

「・・・や」

「嫌ではありません。清潔にしていなければ、病に侵されてしまいますよ」

「・・・」


病と言われると、はしぶしぶ血塗れの着物を脱ぎ始めた。喜多はの露わになった素肌を見て軽く眉をひそめた。の身体には細かな傷がいくつもあった。それほど目立たないとはいえ、こんな少女がつけるような傷ではなかった。


(刀傷ばかり・・・この子は傷を得ながらも人を斬ってきたというの・・・)


じっとしているの身体を丁寧に拭いてやる。むずがゆいのか、時々身をよじらせていた。こういった反応は普通か、と喜多は少し安堵した。綺麗に血を拭き取り、新しい着物を着せてやる。慣れないのか、どこか居心地が悪そうに見えた。その後食事をとったが、はただ黙々と口に物を運んでいた。そこまでで喜多が感じたものは、感情の乏しい少女という印象だった。確かに血に飢えるというものは狂気の沙汰だが、それをのぞけばなんということはない。そう思えた。少なくとも、就寝する直前までは。



















夜となり、喜多は部屋に布団をふたつ並べた。片方にを寝かせると燭台の灯りを消し、片方に自分も入り込んだ。


「・・・政宗、来なかった」


さみしそうにが呟く。おそらく彼女のことで重臣家老たちにあれこれ言われてこちらにくる余裕が無かったのだろう。明日はきっと、と言っての頭を撫でると、小さく「ん・・・」とかえってきた。そして二人とも目を閉じる。喜多はそこで一度、意識を手放した。



















ふと目がさめたとき、隣の布団にその小さな姿は無かった。あわててとびおき、羽織をひっつかんで肩にかけながら部屋を出る。すると縁側のすぐ外で、が黒脛巾組によって地面に伏せ押さえられているのが目に入った。


様・・・!」

「お近づきになりませぬよう、喜多殿。怪我ではすみませぬ」

「!」


言われてそろ、とをみてみれば、息は荒く、目は瞳孔が開ききっていた。例えるのなら、興奮した野生の獣。よくよく見てみれば、の顔には赤黒い液体が少しついていた。やがて政宗が小十郎を伴い、足音をたててやってきた。の前に立ち、まっすぐ彼女を見下ろす。の興奮は政宗を目にしてもおさまる様子は無い。




「フーッ、フーッ!」

、もう人を斬りに出るのはやめるのじゃ」


単刀直入に、冷静に、政宗が言いおろす。の瞳が揺れた。


「いや、だ・・・・・・血が・・・」

「それほどまでに血がほしいのなら、わしの血をすすればよい」

「「政宗様!?」」


政宗の発言に驚き声を上げたのは、小十郎とを押さえていた黒脛巾組だった。は一瞬黒脛巾組がひるんだのを逃さず、瞬時に政宗の懐へと突っ込んだ。


「政宗様!」


喜多も声を上げた。しかし動いても間に合うものではない。息を飲む中、政宗はの小刀を鉄甲で受け止めていた。ぎりぎりと小さく鋼のこすれる音がする。喜多がほっと息をはいたが、次の政宗の行動に再び目をみはった。政宗は空いている右手を小刀に添えたのである。ぴ、と政宗の指の皮が斬れ、小さな赤い筋をうむ。ののどがひゅっと鳴いた。


「龍の血じゃ、不足はあるまい?」

「・・・や・・・」


が首を左右に振りながら後ずさる。からんと音を立てて小刀が地面に落ち、もまた地面にすとんと座り込んだ。顔は政宗を向き、彼を凝視したままは呟く。


「政宗、斬るの、や・・・」

「・・・ならば、“我慢”してみよ」

「がま、ん・・・・・」

「わしの血以外は望んではならん。じゃがおまえはわしを斬るのは嫌じゃと言う。ならば、我慢するしかなかろう?」

「・・・・・」


がうつむいた。それにあわせて政宗がしゃがみ込む。の視界に血筋の残る政宗の指が入って、また首を振る。


「政宗、斬るの、や、だ。・・・・・がま、ん・・・す、る・・・」

「よう言った!」


政宗がぐりぐりとの頭をなぜた。そして黒脛巾組を下がらせ、喜多に顔を向ける。


「これでもう安心じゃ。これから一層頼んだぞ、喜多」

「・・・政宗様・・・」

「“大丈夫”じゃ」


根拠はおそらずない。だが我が主のこの顔は、確実な確信を持っているときの顔だ。


「・・・御意にございます、政宗様」

「うむ!じゃがはしばらく夜は眠れんかもしれん。何か・・・」

「それならばご心配には及びませんわ」

「?何か手でもあるのか」

「えぇ、それはもうすばらしいものが」


にこりと笑った喜多は、の頭をなでながら言った。


「昔、政宗様が眠れないとおっしゃられた夜のように、抱きしめて寝させていただきます」


おそらくこの子どもは人の温もりを知らない。だから抱きしめて、あたたかくして眠りにつこう。血は目にしなくても、鼻で感じなくても、鼓動というかたちで感じることができるのだと、教えながら。




















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