戦場だというのに、そこだけ静寂に包まれているように感じた。緊張のはしる中、甲斐姫の唇が震え、ゆっくりと、言葉を紡いだ。


「あたしは・・・あたしは・・・幸村様を、裏切れない」

「・・・そうか」


が目を伏せる。大きく深呼吸を数度し、スゥっとゆっくり目を開いた。その目には、決意の色が宿っている。


「ならせめて、俺の手で逝ってくれ」


かつて相模を護っていた地龍が、駆けた。



















の刃と甲斐姫の刃が幾度も重なり合う。刃の音と二人のほうこうだけが耳についた。言葉を交わすことはもうない。ただただ、己の志のために戦っていた。たとえそれが、愛する人を喪う行為だとしても、退くことはない。やがて甲斐姫に疲労が見えてきたが、荒い息で、それでもまっすぐを見据える。


「・・・」


その姿を見つめ、は構え直した。これで、決める。脳裏に浮かぶのは幼き日々からの美しく、あたたかく、愛しい思い出。いつしかの中に入り込んでいた女性。つまりそ

うになる息をなんとか整え、一気に踏み込んだ。


「!」


疲れから反応が遅れてしまい、甲斐姫の蛇腹剣がはじかれる。そして―――


「さよなら・・・愛しい・・・甲斐・・・」


耳元で、おかしな呼吸がきこえた。手元でぬるい音がし、ゆっくりと、やわらかい身体が崩れ落ちる。右目から一筋の川ができあがったが、赤い雫に紛れて消えた。


「・・・・・・・・・・・」


もう、動かない。もう、その声をきくことはない。もう、華のような笑顔を見ることは、ない。自らの手でその華を散らせ、宝物を壊した。


「・・・・・」


そっとその傍らにひざまづき紅に染まった頬を撫でると、さらに紅く染まった。


「・・・・・小太郎」


ヒュンッと一陣の風が舞い、久しい赤き魔が現れた。


「・・・甲斐を、頼む」

「・・・命令か?」


元の契約者、氏康の命で風魔は甲斐姫のそばにいた。その契約者と、守るべき相手がもういない今、小太郎に命ずるものもなかった。


「いや・・・俺はおまえの主でも契約者でもないからね・・・これは、友への頼み、だよ」

「・・・」


風魔は軽く目をみはったあと、おもしろそうに小さく笑みを浮かべた。


「俺を、友と呼ぶか」

「俺はずっと、そう思っていたよ」


は甲斐姫を見つめたままで、後ろにいる風魔が表情を見ることはできない。だが風魔はそれが本心で、がわずかに笑みを浮かべているであろうことを感じ取った。

正面にまわり、風魔は甲斐姫の亡骸をそっと抱えた。そしてそのまま、風と共に消えた。風魔が去り、は立ち上がった。紅い水たまりを見下ろし、そして上を見据える。


「・・・・・」


言いたいことがあるのだ、彼の者に。次なる目的のため、は重い足を必死に動かした。






















その城内が、燃えているように見えた。それほどまでに熱き思いが行き交い、覇気が伝わってくる。は目的の人物の前に躍り出た。


「真田幸村殿とお見受けする!」


槍を振るっていた将に向けて声を張り上げると、幸村はのほうに注目した。


「貴殿は・・・!?」

「相模の地龍、北条

「北条の・・・」


はっと幸村が目を見開くのがわかった。甲斐姫との関係性を読みとったのだと判断したが続ける。


「幸村殿に、一言礼が言いたい」

「なに・・・?」

「甲斐姫を、大切にしてくれてありがとう」


また、幸村の目が開かれた。の表情を見て、幸村はこれが欺きではないことを感じ取る。のおだやかなほほえみは、正真正銘彼の本心であった。


「甲斐が、幸村殿等のことを“家族”と思えるようになったのは、貴殿等のおかげだ。北条を去っても、大切におもえる家族があの人にできて、よかった」


目を伏せ、息を吐く。目を開けたときには武人の顔に戻っており、幸村に緊張がはしった。


「だから、貴殿とも全力で戦わせていただきたい。あの人を裏切らせないためにも」

「・・・参られよ!その熱き想いと、信念をもって!!」


地龍と猛けき武が、激突した。

























勝敗が決し、は家康の許しを得て山に入っていた。疲れでよろける足をなんとか動かし、人気のかけらもない場所へ行く。


「・・・小太郎」


呼ぶと一陣の風が舞った。影はなにも言わずにそっとの前に横たわらせる。はそっと抱きかかえ、静かに目を閉じた。


「終わったよ・・・」


幸村を討ち、甲斐姫の信念を貫かせた。大坂の陣は徳川の勝利に終わり、ようやく戦乱の世は終わりを見せた。


「家族同士が戦わなければならない時代はもう終わりだ・・・」


その亡骸を抱き抱えたまま立ちあがり、正面に立つ風魔を見据える。


「早川を、頼む」

「・・・命令か?」

「頼みだって」

「そうか・・・ならば、応えよう。友の、願いに」


が目を瞠る隙に、風魔は姿を消した。ふっと息を吐くと同時に笑みをこぼし、姪の安全確保の喜びを胸にしまい、は歩みを進めた。

























目前には広大な地が広がっている。美しい緑の大地。この地がもう焼け野原にならないことを願った。目下に目を落とし、時の流れのように流れゆく水を見つめた。


「今生ではさよならだ。また来世で、逢えるといいなぁ」


答えてくれることのない、とうに冷たくなった唇に自らのあたたかい唇をそっと重ね、ふたつの影が時の流れへと沈み込んだ。




















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