それは突然の出来事。 だがそれすら彼女に漂うながれだったのかもしれない。


















何の変哲も無い、金曜日の午前。彼女のクラスは調理実習中だった。包丁がまな板を叩く音、湯が沸騰して煮立つ音、話している少年少女の声。もまた、包丁を手にしてりんごの皮をむいているところだった。だが不意に突然、一瞬世界が歪んだ。

!?」

大声で呼ばれて、ふ、と顔を向ける。動いた時に、左の掌がピリと痛んだ。え?と手を見ればそこにりんごは無く、掌に一筋の赤い線がついていた。

「・・・・・、」

赤い線を見て、は目を瞠った。そして頭を駆け巡るのは。

、大丈夫か?」

「・・・」

「おい、

「・・・・・たかとら・・・・・」

「え?」

そばについていた三島達哉がきいたのは、なにかの名前か。気にしている場合では無く、保健委員の三島は、放心状態のを連れて保健室へと向かった。


















保険医は休みだったため、三島が手当てを行った。幸い傷は浅く、消毒と包帯で事足りた。

「しばらく動かしにくいだろうけど、これでとりあえず大丈夫だ」

「・・・・・」

「・・・?」

手当の最中もずっと俯いていたの名を呼ぶ。はハッとして、「えっ?あ、ありがとう・・・」と白い包帯が巻かれた自分の手を見ながらこたえた。

「大丈夫か?さきからぼーっとしてっけど」

「・・・・・ちょっと、いろいろ思い出しちゃって」

「思い出す・・・?」

三島が繰り返すと、は苦笑してまた左手を見つめた。

「そう・・・もう、ずーっと、昔の事・・・」

ぽた、と雫が包帯に落ちて染み込んだ。どうして忘れていたんだろう。世界で何より大切だったものを。

「・・・高虎・・・」

(さっきも、たかとらって・・・)

「会いたい・・・」

「え?」

呟かれた言葉がきこえづらくて、三島は声を上げた。

「高虎に、会いたい・・・っ!」

そしての目からはボロボロと涙がこぼれていた。どう声をかけていいかわからず、三島はただただその様子を見ているしか出来なかった。



















しばらくすると、はなんとか落ち着いた。保健室に備えついている水道で顔を洗い、一息つく。

「ごめんね、急に泣き出して」

「い、いや・・・驚きはしたけど」

申し訳なさそうに苦笑するに、三島はまだ戸惑いながらも返す。

「その・・・さっきも“たかとら”って言ってたけど、誰かの名前か?」

「さっき・・・?」

「手、切った時」

三島がの手を見て、それにつられては自分の手を見た。

「無意識に呟いちゃってたのか・・・。高虎は・・・あたしが、世界で一番大切に想ってたひと」

「え・・・」

「と言っても、今はどこでどうして・・・ううん、この世にいるとも限らないんだけど」

「どういう、ことだ・・・?」

三島の困惑顔を見て、はまた苦笑した。

「突拍子だし、信じがたい事だけど、きく?}

「・・・きく」

三島が頷いたのを確認すると、はポツリポツリと語り始めた。400年近く前の、戦乱の世に生きた自分達の事を。


















前世の記憶がある―――そう告げられた三島は、話が終わってからしばらく唖然として目を瞬かせていた。

「・・・三島?大丈夫?」

「えっ?あ、あぁ」

先程は心配した側が逆に心配されている。それに対しては苦笑を浮かべた。

「まぁ、ほんと、聞きながしてくれちゃっていいよ。こんな話、信じられないだろうし、あたしもさっき思い出したわけだし」

「・・・いや、信じる」

「え?」

思っていたのとは違う答えに、は目を瞬かせた。

「俺は、お前を信じる。がこんな嘘つくわけねぇし」

「・・・・・ありがとう」

付き合いは高校の2年と少しの短い期間だが、がそう嘘をつく人物でないことを知っていた。の微笑みから少し目を逸らすと、ふと「そうか」と声を漏らした。

「そういうやつも、いるってことだよな」

「うん?」

「お前の他にも、いるかもしれないってことだよ」

「・・・・・え」

三島の言葉に、はドキ、と胸を高鳴らせた。自分以外にも、あの戦乱の世を覚えている者がいるかもしれない。そんな小さな希望に、心が小さく沸き立つ。

「中学んときの同級生にさ、なんか不思議なやつがいたんだよ。いつもぼやーっとしてんだけそ、成績は割と良くて、キレーな顔立ちしててさ。真っ白な顔して黒い髪だから、小学校から同じなやつは、お化けじゃないのかと思ってたとか言っててさ」

「お、ばけ・・・」

そう言われていたのは、だれだったか。浮かぶのは白いシルエット。

「なんつーのか・・・どこ見てんだろうなって感じで。卒業式の後、クラスのみんなに連絡先きいてたんだけど、なんで俺も?って顔しやがってさー。ダチだろ?って言ったら、なんかびっくりして、ありがとうって言ったんだ。まぁ、実際はほとんどしゃべった事ねーし、友達なんて言えるかわかんねぇけど」

その様子に、1人の面影が浮かんだ。白い肌、黒い髪、どこか遠くを見つめる眼差し、“友”という言葉への思い・・・。

「・・・そいつの、名前は・・・?」

「大谷吉継」

「っ!よし、つぐ・・・っ!」

パッと脳内に彼の者の姿がはっきりと映った。半分隠れた顔から覗く瞳が、優しくを見つめていた。

「知ってる、のか?}

「吉継は、友達、だから・・・っ」

目には涙が浮かんでいた。吉継も、いる。ひとりじゃない。だが問題は、彼が“覚えている”かどうかだ。

「・・・連絡、してみるか?」

「いいの?」

「あぁ、できるなら力になりたいしな」

「ありがとう・・・!」

放課後になったらするかと彼は時計を見た。結構な時間が経ってしまっていて、教室に戻ると遅かったなと心配された。少し申し訳ない気持ちになりながら残してくれていた調理実習の料理を食べ、午後の授業を過ごした。そして放課後、2人はひと気のあまりない、小さな公園へと向かったのだった。



















放課後のひと気のない公園に2人並んで座る。三島がスマホを取り出して、中学の卒業から1度も連絡していないその番号を開いた。

「・・・」

向こうも授業が終わった頃だろうが、部活をしていたら出ないかもしれない。初めてかける電話に三島が、吉継が覚えているかどうかでが、緊張していた。

『・・・もしもし?』

「あっ・・・大谷?」

『あぁ、俺の携帯だからな』

もっともである。だが、電話に出た。がさらに緊張して身を固くした。

「あー、久しぶり。元気か?」

『まぁ、な。どうした?何か用があるんだろう?』

2年以上ぶりだ、すぐにそう思うのは道理だろう。

「あ・・・うん。・・・大谷、さ、芦名って女子、知ってるか・・・?」

聞きながら三島はちらとを見た。だがはふるりと首を振る。そして声を出さずに口だけで「」と言った。“”の名はあの頃には意味が無いに等しく、はほとんど使っていなかった。吉継にも名乗った覚えがない。もしのことを覚えているのなら、“”という名で、勘づくはずだ。

「あー、待った。えーと、、って女子、知ってるか?」

『・・・・・・・・?・・・・・小柄だが、活発、か?』

「そう!ちっさいけど元気で、」

ピタリと三島の声が止まったのは、が三島を睨んだからだ。だが今の反応、もしや。

『・・・・・・・・・・が、いるのか?』

「お前が言う“”と、俺が知ってる・・・ここにいる“”が同じならな」

『・・・・・今どこにいる?』

「どこって・・・俺の高校近くのちっさい公園・・・」

『すぐに行く。待っていてくれ』

「えっ?あっ、おい大谷!?」

声を上げるがすでに通話は切れた後で、ツーツーという機械音が鳴るだけだった。

「どう、だった・・・?」

おそるおそるきく。おそらく大丈夫だとわかっていても、身構えずにはいられなかった。三島は通話を切ると、にっと笑ってを見た。

「あいつ、記憶あると思う。お前のことも、多分覚えてるよ」

「ほんと・・・!?」

「小柄で活発かってきかれたからな」

それで「ちっさい」発言だったのか。これから来るときき、はこみあげるものを感じながら、まだはやい、まだ確実ではないと堪えた。静寂の中、吉継が来るのを待ち焦がれた。


















やがて、静寂の公園に新たな気配が入り込んだ。2人はベンチから立ち上がり、彼を見る。病ゆえに顔を半分隠していた。しかし現在いまそれは取り払われ、白く整った顔があらわになっていた。ひとつにくくった少し長めの黒髪がさらりと揺れる。彼はきょろとあたりを見渡した後、背の高い、三島に目を留めた。

「三島」

「大谷・・・」

彼は2人の方へ近寄って来ると、視線を斜め下へおろす。堪えて今にもぐしゃぐしゃになりそうな表情のが、そこにいた。

「・・・また、会えたな、

「っ!吉継ぅ!!」

ガバッと抱きつくを、吉継は黙って受け止めた。その行動に三島はぎょっと驚き戸惑ったが、わんわん泣いて喜ぶの姿を見ると、自分も嬉しくなる様な気さえしたのだった。


















ズッ、と鼻をすすって落ち着いたは、吉継に事のあらましを話した。包丁で手を切ってフラッシュバック、前世の記憶を思い出したこと、三島にその話をしたら吉継の事が上がったこと、そして吉継に電話をした、と。

「そうか・・・」

「なんていうか、似てるとこがあった気がしたんだよな。もたまーにどっかぼやーっと見てるし」

「そう、なの?」

「あぁ、たまにな」

の事をよく見ているな、と思ったのは吉継だった。

「それで、あの、吉継・・・」

「・・・会いたいか?」

「いるの!?」

誰のことかなど、名を出さずともわかる。予想通りのの食いつきように、吉継はこくりと頷いた。

「俺と同じ高校に通っている。記憶もある。だが、ひとつ問題がある」

「問題・・・?」

なんだろうか。の胸の内に、不安が渦巻いた。

「あいつは・・・高虎は、お前の事をぼんやりとしか覚えていない」

「・・・・・」

吉継の言葉をきいては眉をひそめた。その可能性も考えなかったわけではない。事実自分が、さっきまで覚えていなかったのだから。しかし、ぼんやりとはいったい。

「そばにいつもいた、大切なものがいたということはわかるが、それがどんな人物なのか思い出せないらしい」

「そう、なんだ・・・」

「あぁ・・・だが、お前に会えば、思い出すかもしれないな」

吉継が、まっすぐの目を見つめた。

「もう1度きく。会いたいか?高虎に」

「・・・会いたい」

そしても、まっすぐ吉継を見返した。

「例え高虎があたしのことを覚えていなくても、会いたい。高虎は、あたしのすべてだったんだから」

(すべて・・・?)

の言葉に三島は小さく首を傾げた。だが2人はそれに気づく事はない。

「・・・わかった。なら呼ぼう」

言って吉継はスマホを取り出す。手慣れた様子でその番号を開くと、電話をかけ始めた。

「・・・俺だ。今暇か?・・・ならよかった。お前に会わせたいやつがいる」

どき、との心臓が震えた。

「来ればわかる。・・・あぁ」

相手の声はきこえない。吉継が場所の指定をして、通話は終わった。

「10分程度で来るそうだ」

「そ、う・・・」

「・・・大丈夫だ」

不安そうなの頭を吉継が優しく撫でる。

「高虎なら、大丈夫だ」

「・・・・・ん」

撫でられていると落ち着いたのか、は顔を上げた。

「・・・なぁ、たかとらって、お前にとって1番大事だったって言ってたよな?すべてだった・・・って」

頃合いを見て、見守っていた三島が口を開いた。

「うん。高虎は、あたしの世界そのもので、高虎がいない世界はあたしの世界じゃなかった。生きてる意味がないって言ったら、怒られてたけど」

ちら、と吉継を見ると、彼は苦笑して小さく肩をすくめた。

「簡単に言えば、依存してたってやつね」

「依存・・・・・こんなこときくのもなんだけどさ・・・・・どっちが先に、死んだんだ・・・?」

「・・・高虎だよ」

「て、ことは、」

「・・・・・」

三島はそれ以上言葉が紡げなかった。は切なそうに微笑み、吉継は事の顛末を悟って目を細めた。

「あっ!高虎には内緒ね!怒られるから!」

「・・・いっそ怒られた方がいいと思うが」

「吉継も言わないでよ!?」

もー!と口をとがらせるの様子に、三島は笑みを浮かべた。やはり、泣いている姿よりも、笑っている方がいい。

「・・・そろそろだな」

そして、高虎が到着すると予測した時間になり、と三島にまた緊張がはしった。


















吉継が白ならば、高虎は青だった。昔のその姿を思い浮かべながら、前を見据えた。高虎は思い出さないかもしれない。その為にも平静を装わなくてはいけないのだが、動悸は激しくなるばかりだった。

「来たな」

そして、吉継の声に心臓が跳ねる。バッと顔を向ければ、そこには見覚えのあるシルエットがあった。昔と同じように後ろ髪を逆立てた黒い髪。青い瞳に、高い鼻。顔を見るだけで涙が出そうになって、は堪えるように唇の端をかんだ。

「吉継、俺に会わせたいやつとは?」

「ここにいる」

吉継がを示すと高虎は彼女の方へ顔を向けた。と高虎の目が合う。あぁだめだ、泣きそう。ほんの数秒のはずだが、長い時が流れたように思えた頃、ゆっくりと高虎の目が見開かれた。

「・・・・・・・・・・?」

「っ!!」

名を、呼ばれた。ただそれだけ、ただそれだけだというのに、こみ上げるものが一気にこみ上げ、ボロボロと涙が溢れだす。

、なの、か・・・?」

「っ、高虎ぁっ!!」

涙がつくのもお構いなしに、は高虎に飛び付いた。小柄なを支えるのは容易く、はその腕にすっぽりとおさまる。頭から抱え込むように、高虎はを抱きしめた。

「俺は、お前の事を思い出せずにいたのか・・・すまん・・・」

ぶんぶんとが首を振る。嗚咽で声は出てこない。

「そこは案ずる必要は無いぞ、高虎。が思い出したのは今日らしいからな」

「よっ・・・!」

しつぐ、とは声が出てこなかったが、吉継がくつくつ笑うのをうらめしそうに見た。高虎はというと、そうか、と呟いた後、ぐしゃぐしゃとの頭を撫でて笑った。

「俺よりもどんくさかったか!」

「どんくさくっ、ないもんっ!」

「手を切って思い出したのはどんくさくないのか」

「だからぁ!」

「・・・手?」

怪訝そうな顔の高虎に、事のあらましを話した。

「・・・家庭科で包丁使ってて、掌切って、思い出した」

「・・・どんくさいな」

「どんくさくない!」

ぶー、と唸るの頭を高虎が愛おしそうに撫でる。傍観者と化している三島は、複雑な思いを抱いていた。

「それで!保健委員の三島に保健室連れてってもらって、手当てしてもらって、まぁ、様子がおかしいからって、話したわけよ。そしたら吉継の話が出て」

「それで吉継から俺に来たわけか」

高虎は1度吉継を見やり、そして三島に顔を向けた。そしてそのまま三島の元へ歩み寄る。

「名乗りもせず悪かったな。俺は藤堂高虎だ」

「・・・三島、達哉です」

「礼を言う」

「え?」

高虎の言葉に三島は目をぱちくりさせた。

「お前がに適切な処置をしてくれて、吉継から、俺に繋げてくれた。お前がいなければ、この“ながれ”は生まれなかったかもしれない」

「大袈裟だよ。俺はただ、」

「大袈裟じゃないよ」

三島の否定を否定したのはだった。高虎の隣に並び、三島に笑いかける。

「手当てしてくれたのが三島じゃなかったら吉継の話は出なかったかもしれない。いずれ出逢うとしても、ちゃんと出逢えていたかもわからない。仮定の話だけど、これは時として“ながれ”となる。だよね?吉継」

「・・・あぁ」

彼がよく口にしていた“ながれ”。最期に彼はそのながれに逆らったが、それも彼が選んだ“ながれ”だった。

「だから、ありがとう、三島」

「・・・・・言っとくけど、俺、そんな善人じゃねぇからな」

「うん?」

首を傾げるにぐいと顔を近づけると、彼はその言葉を紡いだ。

「お前の事が好きだ」

「・・・っ、へっ!?」

な、と高虎が声を漏らしたが、今はそちらに目を向けない。三島は姿勢を戻してを見下ろした。

「全くの善意じゃなかったんだよ。下心、まではいかないけどさ。本当は会わせない方が、俺にチャンスがあるとも思ったし」

「三島・・・」

「けど、やっぱ嫌だったんだよ。・・・お前が泣いてるのを見るのは」

「・・・」

「笑ってほしいからさ。だから!」

今度はキッと高虎をにらむ。三島はよりもだいぶ背が高いが、それでも高虎の方が高く、少しだけ見上げる形となった。

「泣かせんなよ!もう手放すなよ!わかったか!?」

三島の気迫に圧倒されて高虎は目を瞬かせたが、すぐにふっと笑って、「あぁ」と返した。

「言われなくても、だれにも渡すつもりはない。今生でもな」

「・・・“それ”があるのがずるいよな。けど、にはお前じゃないと駄目なんだよな」

三島はを見ると、に、と口角を上げた。

「なんせ、お前が死んだあと、」

「わー――!!!」

三島が言わんとしたことをすぐさま察して大声を上げたが、すでに遅し。高虎はを見下ろしてうなった。

「おーまーえーなー!!」

「だって無理だったんだもんー!!」

「開き直るな!」

子と主を残して云々の話が始まり、三島はそろそろとふたりから離れた。そして、大きく息を吸う。

!」

大声で呼ばれたは「えっ?」とそちらを見た。

「また明日な!」

笑顔で言う三島に、も笑顔になる。

「うん!また明日!」

友はこれからも友でいられる。再び会えた友と愛しき者は、また新たな道を共にゆける。









これからも共に歩いて行けるだろう。澄み渡る、青空の下を。





















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