宵闇の中に陣の灯火が在る。ごうっと燃える火を、ガラシャは無心に見つめていた。父は亡いと言われ、友の姿も無い。婿はおれど、ガラシャの心は独りぼっちだった。
(父上・・・元親・・・)
もう一人、友の名を浮かべようとしてガラシャは打ち切った。彼はあの戦いにも姿を見せなかった。今どこにいてどういう思いでいるのか見当がつかない。自分はどうなってしまうのだろう。不安を胸中が渦巻いている。
「わらわは・・・」
スッと空を見上げた、その時。背後に何かが降り立つ音がした。周りの兵が構え、ガラシャも「え」と振り向いたが、同時に自分の身体が宙に浮いた。視線が高くなり、抱き上げられているのだと把握する。兵たちを薙払いながら走り出したその人物の横顔を、ガラシャはおそるおそる見た。
「・・・・・・?」
「・・・遅くなって、悪い」
それは父の友、自らの友、だった。ガラシャは胸の奥からこみ上げるものをぐっと堪えながら、に問う。
「なぜおぬしがここにおるのじゃ?なぜわらわを助けるのじゃ?」
父は助けてくれなかったのに。
その言葉はなんとか飲み込んだ。
「・・・光秀殿との約束を果たしに」
「約束・・・?」
「“私に万が一のことがあれば、娘を頼みます”」
「!」
「だから俺は、本能寺にも山崎にも参陣しなかったんだ。おまえの身柄を優先させるために」
「・・・・・」
ガラシャはぎゅっとの肩の布を握りしめた。色々なものがこみあげて、何から口にすればいいかわからなかった。
「ガラシャ姫、頭縮めてしっかり掴まってろ」
「え?」
ちらとガラシャは進行方向である背後を見て目をみはった。そこには道はなく、崖が広がっていた。
浮遊感、そして大きな衝撃のあと、ガラシャはしばらくにしがみついて目を瞑ったままだった。もう大丈夫だ、と声をかけられて、やっとおそるおそる目を開ける。はもう走ってはおらず、少々足早に歩いていた。
「怖い思いをさせて悪かった。定石でいけば捕まるだけだからな」
申し訳なさそうに言うに、ガラシャはぶんぶん首を振る。大丈夫じゃ、と声をかけると、よかったと返ってきた。
「まだしばらく歩くから、おまえそのまま寝てろ」
「じゃが、それではが疲れるのじゃ」
「俺は鍛え方が違うから大丈夫だ。・・・ろくに寝てなかっただろ?」
なぜわかったのだろうか。愛する者たちもおらず兵に見張られた状態でガラシャが安心して眠っていられるはずもなかった。だが今こんな不安定な状態であるというのに、眠っていいと言われて、急に睡魔が襲ってくる。
「・・・・・・」
「ん?」
「・・・ありがとう・・・なのじゃ・・・」
すぐにスーと小さな寝息が聞こえ始めた。はその寝顔を愛おしそうに見つめてぽんと頭をなでたあと、しっかりと前を見て歩みを進めた。
がたんっ、と強い振動があって、ガラシャは目を覚ました。目をぱちくりさせて状況を知ろうと身をよじると、「あぁ待て動くな」とすぐ耳元で声がした。
「い、てて・・・」
「?どうなっておるのじゃ・・・?」
「悪い、少し足を滑らせた」
言われてそろっと下を見ると、確かに地面が近い。ちょっとした下りに足をとられてしまったらしい。
「けっ、怪我はしておらぬか!?」
「あー、大丈夫大丈夫、ただ・・・」
よっとがゆっくり身体を起こし、そっとガラシャを地面におろした。ガラシャの視線が一気に下がる。
「さすがに少し疲れたな・・・」
「!わらわが見張りをしているから寝るのじゃ!」
意気込むガラシャをが見つめる。どうするか思案しているのだろう。だがその眼を見れば、答えなどきかずともわかるようだった。
「あー・・・んじゃあ頼むかぁ・・・」
「うむ!」
「だが約束だ。絶対に俺のそばを離れないこと。少しでも何かおかしなことを感じたらすぐに俺を起こすこと」
「うむ!」
ガラシャのいい返事をききながら、は近くの木下へ移動する。それにガラシャが続いて歩いた。どかっと木の幹にすがって座り込み、ガラシャを手招きする。ガラシャはそのままの隣にちょこんと腰を下ろした。
「俺はな、ガラシャ姫・・・」
もはや意識が遠のいている中で言葉を紡ぐ。ガラシャはを見つめて黙って聞いていた。
「おまえを助けたのは確かに光秀殿の頼みだが・・・それだけじゃ、なくて・・・俺が、おまえを大切だと・・・守りたいと、思ったからで・・・」
うつらうつらと瞬きをする。その寝ぼけ眼で、はガラシャを見て淡く笑った。急にの距離が縮まるが、ガラシャは身動きがとれず。
「愛しいものを、守りたかったから・・・だ」
唇をかすめ、耳元をかすめ、やがて規則正しい寝息がたち始めた。ガラシャはしばし固まっていたが、やがてそろそろと自らの唇に触れる。婿である忠興にすら触れさせたことのなかった部分。そこをいとも簡単に奪われたわけだが、不思議とガラシャは嫌なものは感じていなかった。むしろ今までの緊張が一気にほぐれたような気さえして、隣で眠るの寝顔をほほえましく見つめたのであった。
辺りに気を配りながら、の様子に気を向けながら、判刻ほどの時が過ぎた。眠り続けるの顔をじっと見つめ、ガラシャは思う。
(は、危険を冒してわらわを助けに来てくれた。ダチである父上の頼みとはいえ、追われる側になるほどのことは、そうたやすくできることではないのじゃ・・・それならは、なぜわらわを助けてくれるのだろう。・・・答えはきっと、間違っておらぬのじゃ)
そっとガラシャがに顔を近づける。起こさないように気をつけながら、ゆっくり、ゆっくり。軽く触れるだけのそれ。と同時にの目がぱちりと開き、ガラシャは思わず「ひゃっ」と声を上げた。横顔のすぐそばにあるガラシャの顔。は横目で彼女を見たあと、大きく息を吐いた。
「・・・おいたがすぎるぞ」
「す、すまぬ、なのじゃ・・・」
しょぼんとするガラシャに、「あー・・・」とこぼして頭をがしがしかく。そうじゃなくて、と言うと、ガラシャが首をかしげながら顔を上げた。
「・・・そういうことすると、我慢できなくなるだろ」
「・・・・・」
ガラシャの顔が一気に火照る。純粋無垢なガラシャもさすがに理解して顔を背けた。は自分の顔の熱が冷めていくのを感じると、さて、と立ち上がった。
「進むか」
「も、もうよいのか?」
「あぁ、休めたよ」
「・・・今ので、起こしてしまったか・・・?」
不安そうに眉を寄せるガラシャの頭をそっと撫でる。
「ちょうど目が覚める所だったから大丈夫だ。さ、行くぞ」
手を差し伸べると、その手をガラシャが掴んで立ち上がる。その手のまま、二人は先へと歩みを進めた。
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