大きなクレーターの中に、囚人の人達と、わたし達が入れられた。フリンさんも連れて来られていた。しばらくすると、兵士達が箱を、運んで来た。
「まさか、ここで、使う気・・・?」
「・・・囚人達を相手に実験すると言っていたわ」
箱の実験なんて、世界を破壊できる力の実験なんて。そんなの、させるわけにはいかない。
「・・・」
「ヨザック、さん」
「ん?」
「渋谷から、目を離さないように。魔力を使おうとしたら、すぐ止めて。いいね?」
「え?」
「・・・わかった」
頷いたわたしをちらと見て、ヨザックさんも頷く。健ちゃんは、人間の土地で魔力を使うことの危険さを知っている。いくら強大な魔力の持ち主でも、使い続ければ命にかかわるかもしれないから。
「さんも、使わないようにね」
「・・・うん」
といっても、わたしはまだ実戦で使えるような魔術はない。アニシナさんに時々教えてもらってはいるけど、まだまだだ。はやく、ものにしてユーリたちを助けたい。見つめた拳を握りしめたとき、マキシーンの声が響いた。演説があたりにきこえ響く。魔族の事を悪く言われ、ユーリが反論するように叫ぶ。その声は彼らに届いてはいない。
「残念だ、非常に残念だ。だが仕方ない。これが現実なんだよ、渋谷」
健ちゃんの、諭すような声。
「何度も裏切られるよ。きっとこの先何度もね。その度に君は傷つく。でも、本当に傷つくのは君じゃない。君を信じてついてくる民だ。そして、それを避けられるかどうかは、国をおさめるものの力量にかかってるんだ。命を落とす事もあるかもしれない。大切なものを失って後悔するかも。渋谷、それを知っても、君はまだやるのかな?立ち止まらずに、このまま走り続けるかい?」
「あぁ」
健ちゃんがユーリを見て、ユーリが健ちゃんを見る。
「そう、やるよ、つらいだろうけど」
「やっぱりね」
ユーリも健ちゃんも、笑みを浮かべた。
「道を示し、太陽に寄り添う者、月となりますように、か」
「?」
なんだろう。ユーリが太陽なのはわかる。健ちゃんが、月?
「何言ってんだ?お前、一体何者なんだ?村田」
「何言ってんの?村田健だよ」
うん、健ちゃんは、健ちゃん。村田健という人。ただちょっと、特殊なだけ。
「ユーリが太陽、健ちゃんが月、わたしが影」
「おまえまで何言ってんだよ。ていうか影ってそんな」
「影だよ、わたしは、ユーリの。だから・・・明るく照らしてね」
笑ってみせると、ユーリは怪訝そうに首を傾げた。いいんだよ、それで、ユーリはまっすぐ、前を見てくれたら、いい。
あの箱は、“地の果て”らしい。地の果ての鍵はなんだったかな・・・。マキシーンが、言う。箱の実験台になれと、この箱の餌食となれと。今すぐ殴りかかってやりたいのを抑えて、ぎゅっと拳を握った。
「アーダルベルト!」
ユーリはアーダルベルトさんに声を荒げる。
「あれを使ったら、魔族どころか、世界が滅びるかもしれないんだぞ!いいのかよ!?それがあんたの望みなのかよ!」
「はっ、望みなんかとうの昔に捨ちまったさ」
つきり、と胸が痛んだ。ロイエさんが、不意に思い出したのかもしれない。
「あんたが与してる人間どもだって、どうなるかわからねぇんだぜ?」
今度はヨザックさんが。それでもアーダルベルトさんは動じなかった。
「与してるわけじゃねぇ。今でも人間なんざ大っ嫌いさ。だが」
「魔族のほうが気にいらねぇってか?」
「そういうことだ」
どうしてそんなに、魔族を嫌うんだろう。アーダルベルトさん自身も、魔族なのに。そう思ったら、胸が変に渦巻いた。まるで、ロイエさんはアーダルベルトさんに同調しているみたいに。 魔族と人間は、憎み合って、争い続けて・・・そんなことを繰り返すよりは、一緒に滅んでしまえばいい・・・本当に?
「・・・そりゃあ、今はだめかもしれない」
ユーリの声が、しずかに沁みる。
「人間も魔族も、お互いの事全然知らないし、知ろうとしないしさ・・・」
生まれた時から人間は魔族を畏怖して滅ぼすものだと言い、魔族は人間を下に見て認めない。
「でも、いつかきっと、魔族も人間も、みんなが幸せになれる時代が来る」
どくん、と胸が高鳴った。なに?どうしたの?ロイエさん。
「確かに、時間はかかるかもしれない。それまでに、より多くの戦いを繰り返し、より多くの誤解が、悲しみが生まれるかも」
目の奥が熱い。ロイエさんの感情が広がって来る。
「それでもいつか、みんながわかりあえる日が来るって、」
―――私は、そう信じてるわ―――
「俺は、そう信じてる」
ユーリの声と、別の、女性の声が重なって聞こえた。どこか懐かしい、心に沁みる、優しい声が。
そしてついに、箱が開けられることになって。兵士の1人が持ってきた鍵らしきものを、マキシーンに渡す。なにか矢筒みたいに、長いもの。待って、あんな形にいれる“身体の一部”って、それって。
「残念だったなぁ。ここが魔族の土地ならば、お前は俺のこの腕一本も引きちぎり、俺を止めることもできたろうに」
彼はそういうと、その筒から、“それ”を取り出した。
「このようになぁ!」
「!!」
掲げられた“それ”を目にして、一気に沸き立つものがった。その“腕”は、まさか。まさかなんて言わなくても、見た瞬間に、確信してしまった。カーキのその軍服、その手は、ユーリとわたしを助けてくれた。
「コンラートの・・・腕・・・・・」
「コンラッド・・・!!」
あつい、あつい、からだじゅうがあつい。だめだ、おさえないといけないのに。だってあれは、ちうがうんだから・・・っ。
「ちょっといいかな?」
必死に抑えようとしていたところに、健ちゃんの声が響く。
「その地の果ての正しい鍵は、ある一族の左目だ。異なった鍵で開ければ、箱は暴走するよ。そうなったら誰にも制御できなくなる。よしといた方がいいと思うけどな」
そう、ウェラーの左腕は、風の終わりの鍵。地の果ての鍵じゃない。健ちゃんの声で少し、冷静さを取り戻せた。
「我々が試さないと思うか?」
でもマキシーンは、聞き入れなかった。左目は、すでに試した。でもその人の顔が焼けただけで、開かなかった。だから、その腕で試す、と。
「それはその人が鍵じゃなかっただけじゃ・・・!」
「はー・・・」
健ちゃんは呆れたように髪をぐしゃとしながらため息をついて、「もう一度だけ言うよ」と言う。
「迂闊に“ヤツ”を解放したら、取り返しがつかなくなる。この場にいる者が死ぬだけじゃない。大陸中が、世界中が影響を受ける。やめるなら今のうちだ!」
「この人の言う通りよ!その箱を開けてはいけない!」
フリンさんも続いて声を上げる。それでもやっぱり、マキシーンは止まらなかった。
「・・・愚かな」
「・・・?」
「え?」
いま、わたし、何か言った?健ちゃんの言葉を呆然と見聞きしていたユーリが、わたしを見てぽかんとしている。よくわからなかったけど、今はそれどころじゃなかった。マキシーンが箱のふたを、開けた。そしてその腕を、箱の中に入れた。鍵って言っても、鍵穴があるわけじゃない。箱を開けるための鍵じゃなくて、封じられた箱の力を解放するための“鍵”。マキシーンが箱のふたを閉める。すると、いかずちが鳴り響いて、地面が揺れ始めた。
「どこでもいい!とにかく少しでも地盤の硬いところへ!」
健ちゃんがすぐにユーリに寄って言った。ユーリはフリンさんの心配をしたけど、いまは、自分の心配をして。箱がいよいよ暴走を始めて、地面が割れた。
「うわあぁぁぁ!?」
「ひっ・・・!」
ヨザックさんとフリンさんがいるところと、わたしたちがいるところが割れてわかれた。
「猊下!ぼっちゃん!姫さん!」
「俺はいいから、フリンさんを!」
「えぇっ!?」
ヨザックが声を上げる。全くこの子は、人の事ばかり!
「はやく!」
「・・・っ」
陛下にされたら、きかざるおえない。
「ヨザックさん!ユーリと健ちゃんは任せて!」
「あぁもう!わかりましたよ!」
わたしが追い打ちをかけてあげると、ヨザックさんはフリンさんに駆け寄って行った。これで、ユーリの心配事がひとつ減った、はず。とにかくユーリと健ちゃんを逃さないと。
「渋谷、はやく逃げるんだ!」
ユーリの両肩を掴みながら、健ちゃんが言う。
「異なった鍵で開けたから、力の放出は完全じゃない。ここから離れれば影響は少ないはずだ」
「・・・」
でもユーリはその手を押しのけてしまう。
「渋谷!」
「ユーリ」
ユーリの周りで渦巻くオーラが変わった。いけない、こんなところで、こんな大きな力を。どくん、と胸が鳴って、押しこまれる。ユーリが力を解放すると、地響きが止まった。
「ユーリ」
ユーリはその力で、地割れに落ちた人達を持ち上げて、救い出した。
「ユーリ、だめ」
歩き出すユーリに声を掛けるけど、ユーリはきいてくれない。
「猊下!」
「箱の暴走は止まったの!?」
ヨザックさんとフリンさんが駆け寄って来た。
「いや、渋谷が一時的に力の放出を封じただけだ。まだ終わっちゃいない」
ユーリはまっすぐ、どすぐろいオーラが漂う箱に向かっていた。
「ユーリ」
「姫さん!」
ユーリをひとりにしちゃいけない。そう思うと勝手に足が動いていた。ユーリと健ちゃんが、何か言い合ってる気がする。それもどこか遠くに感じながら、ユーリに追いついた。
「」
「・・・やるんだね?」
「あぁ・・・」
箱の前で、足を止める。ユーリが箱に、手をかけた。その背中に、手を添える。これで少しでも、ユーリの力になれるなら。ガコ、と箱があくと、大きな力が身体中にはしった。
「ぐあああああ!!!」
「きゃああああ!!!」
あつい、くるしい、いたい。負のかたまりが、身体に襲いかかってくる。弾かれて、ふたりとも、膝をついてしまった。
「く・・・っ」
「く・・・っそ・・・」
こんなのに、勝てるの・・・?身体が重くて持ち上がらない。でも、止めないと。必死に身体を起こそうとしていると、不意に何か別の力が身体にまとった。
「これは・・・」
「健ちゃん・・・?」
崖の上で、健ちゃんがこっちに向かって手を突き出していた。ユーリに魔力を送ってくれてるんだ。その力が、ユーリを通じてわたしにも助力してくれてる。ぐっと力を込めると、なんとか立ち上がれた。
「まだ、いけるよ!」
「あぁっ・・・!」
もう一度、ううん、止められるまで、何度だって。ユーリが箱の前に立って、わたしがその後ろに立つ。ユーリの背中に手をそえて、健ちゃんからの力を流しやすくする。今度こそ、ふたを開けきった。
「あああああああ!!!」
ユーリが声を上げながらふたの中に腕を突っ込む。そしてそれを掴んで、箱から出した。
「うわっ!?」
大きな力が弾けたあと、黒い雲で埋め尽くされていた空は青く晴れて。どす黒い力は、すっかりなくなっていた。
「やったね、ユー・・・リ・・・?」
きょろ、と見渡すけど、ユーリがいない。
「ユーリ!?」
立ち上がって辺りを見渡すと、石が転がる音がきこえた。音に反応してそっちをむくと、肌色が見えて。
「ユーリ!」
ユーリは力に吹き飛ばされて、地割れから落ちそうになっていた。右手にコンラートの腕を持って、左手だけで支えて。
「ユーリ!」
手をのばすけど、ユーリはわたしの手を掴めそうにない。下手にこっちが手を掴むと、重力に負けて一気に引っ張られそうだし・・・どうしたら、どうしたらいいの?ヨザックさんを呼んでくる?でもそうしているうちにユーリが力尽きたら・・・。頭の中が混乱して、どうしていいのかわからない。
「くっ・・・」
「ユーリ、がんばって・・・!」
どうにか左手だけでよじのぼろうとするけど、支えきれなくて。何度か試していたら、掴んでいた所が弱くなったのか、ボロッと、崩れた。
「ユーリ!!」
「ぁっ」
落ちる―――ユーリもわたしも、そう思った。でも、ユーリは、その場所から下には落ちなかった。止まりそうになった息をなんとか整えていると、視界に金色が入って来た。
「ヴォルフ、ラム・・・?」
「・・・やっと捕まえた」
ユーリを見て、ヴォルフラムが言う。
「ヴォルフラム、なんでここに・・・」
ユーリも驚いた顔で、ヴォルフラムを見ていた。
「お前は浮気者だからな。世界中を追いかけられるように、発信機をつけてあるんだ。ほら、引き上げるぞ」
「大丈夫か?下手したらお前まで」
そう、だからわたしは、掴めなかった。一緒に落ちるのがこわいとかじゃなくて、ユーリを落とすわけには、いかなかったから。でもヴォルフラムは優しく笑って、言ったんだ。
「そうしたら、一緒に落ちてやる」
「え?」
ヴォルフラム、本当に、ユーリを大切に想ってくれてるんだ。ゆるみそうになった涙腺をおしこめて、わたしもユーリの手を掴んだ。
「わたしも一緒に引き上げるから大丈夫!」
「そうだ、僕達を信じろ。いくぞ!」
せーの!で持ち上げる。さすがにふたりでも重たくて、ぐぐぐ、と声が出た。でも、絶対に、この手は離さない。この二人の手は、絶対に離さない。なんとか持ち上げると、ユーリの身体が勢いあまってわたし達の上に“落ちてきた”。
「いってぇ・・・ごめん、ヴォルフラム」
「あやまらなくて・・・」
いい、って、ヴォルフラムは言うつもりだったんだと思う。でも、続かなかった。ユーリのごめんは、違う意味のごめんだった。ぽたりと雫がその上に落ちて、ヴォルフラムは把握した。わたしも、さっきは我慢したのに、涙が溢れてきた。
「ユーリ、・・・泣いても、いいんだぞ」
優しい言葉に、さらに涙腺がゆるむ。
「あぁもう!なんか全身が痛いや!痛くて涙が出てくる!」
「あんだけすごいことしたらからね!仕方ないよね!」
ユーリもわたしも、ただの強がりだ。実の弟であるヴォルフラムが泣いてないのに、わたしたちが泣いててどうするの。
「俺って、どこまで馬鹿なんだろう!」
「おまけにへなちょこだ」
「へなちょこ言うなぁっ!」
お約束のやりとり。これを見ると、安心する。ユーリも、笑った。 ヴォルフラムと一緒に来たらしい、ギーゼラさんとダカスコスさんが走って来て、フリンさんはTぞうに乗って、ヨザックが健ちゃんをおぶってきて・・・みんなが無事で、本当よかった。