ユーリの目が覚めて少し話をしたとき、急に外が騒がしくなった。頭上の金網の上を数人の男の人達が走って行く。探せ、と言いながら。そしてすぐに、さっきの女性、フリンさんが牢に来た。フリンさんは牢の鍵を開けて、わたしたちを連れだした。
馬車に乗せられて、わたしたちは急いでいた。走って騒いでいたのは小シマロンの兵のようで、どうやらフリンさんを探していたみたい。小シマロンの兵に見つかれば、わたし達のことも調べられてしまうって、それは勘弁したかった。とくにユーリは、眞魔国の魔王だから。フリンさんはここを出て、すぐに向かわなきゃ、と言った。どこに?って当然の疑問でユーリが訊く。
「大シマロンよ」
「「「大シマロン!?」」」
フリンさんの答えに、わたし達は声を揃えて大声を上げたのだった。
馬車から船に乗り換えて、海へ。フリンさんは「これが私にできる最後の駆け引き」って言った。フリンさんはつらそうな顔をしていた。フリンさんも、大きな覚悟を持って何かに挑もうとしているのかもしれない。このままされるがままっていうのは危ない気もするけど、ここは人間の土地だし、下手に動かない方がいいのかも。
「・・・人間の土地、かぁ」
自分で言ってて不思議な気分になった。だって、つい最近までただの、いや、ちょっと前世の夢とか見ちゃうちょっとだけ変わった人間だったはずなのに。今ではすっかり“魔族”になっちゃってるや。 ふうと息をついて、周りを見る。この船にはなぜか、同じ服を着て手を拘束された人が沢山いた。まるで、囚人みたいに。それと、数多くの羊たち。囚人護送船なのか、羊護送船なのか。よくわからないけど、これが大シマロンに行くのに潜みやすかったんだろうなぁ。 なんて自分でも少しのん気だなと思う事を考えていると、なんだか少し騒がしくなった。見てみればそこにいるのは自分の半身で。また何か厄介事を招いたのかな、ってため息をついて助けに行こうとしたら、なんと羊がユーリに飛びかかった。男に胸倉を掴まれていたユーリは羊のおかげで男達から離れる。そのまま羊はなんとも華麗な動きで男達をのしていった。
「か、格闘羊?」
ユーリはその羊と仲のいいらしいおじいさんと話したあと、フリンさんをい心配して彼女の方に行った。ちょっと後ろでその話をきく。この船は囚人護送船ではなくただの民間船で、この人達は囚人なんかじゃなく、捕虜なんだそう。シマロンのせいでカロリアの多くの人達も捕虜となって、小シマロンはまた新たに若い人達を戦争に駆り出してしまったらしい。眞魔国との戦争のために。そしてユーリはフリンさんにとって、こんなことを終らせるための、切り札、らしい。もし、もしそれがユーリにとってマイナスにしかならなくて、ユーリが危険な目に合うことなら、わたしは、何が何でも、絶対に止めるからね、ユーリ。
もうすぐ大シマロンの領海に入るって時、いきなり、砲撃された。船にあたりそうになって、波で船が揺れる。撃って来ていたのは小シマロンの軍船だった。砲撃が当たってマストのてっぺんが折れる。
「ちょ、これやばいんじゃ・・・!?」
「このままじゃ捕まっちまうぞ!」
「いや!ここまできて、そんなこと絶対いや!」
「うえ!?」
「ユーリ!!」
フリンさんは突然ユーリに体当たりをして、一緒に海へ落ちて行った。慌てて二人の後を追って海に飛び込む。その後に海に落ちる音がきこえたから、健ちゃんも飛び込んだんだと思う。そのままなんとか海面から顔を出し・・・たけど、まさかの最初に飛び込んだフリンさんが泳げない人だった!フリンさんがユーリにしがみついてわたわたしていて、わたしは健ちゃんの姿をとりあえず確認してってしていると、船から羊が降って来た。同時に捕虜達も海に飛び込んで砲撃から逃れる。と、びっくりしたのは羊達だった。羊毛が水を吸い込んで、三倍くらいに膨らんだ!え、羊ってこんなに膨らむんだっけ?でもこれで羊が浮き輪になってくれる。
「ユーリ!フリンさん!大丈夫!?」
「!こっちはなんとか・・・」
「メェ!」
めぇ?と顔を向けると、さっきユーリを助けてくれた羊がいた。そしておじいさんも・・・って思ったらおじいさんが白い頭と髭を取って。
「ヨザック!?」
「ヨザックさん!?」
なんでここに、っていうかあのおじいさんがヨザックさんってことはカロリアに着いた時にすでに会ってたってことだよね。気付かなかったなんて、ヨザックさんは変装の達人だなぁ。
「姫、泳ぎは得意ですか?」
「うん、大丈夫です」
「なら、俺はこっちのお嬢さんをお運びしましょうね」
「誰だかわからないけど・・・彼らの知り合いなのね。ごめんなさい、お願いします」
こうして泳げないフリンさんはヨザックさんに掴まって、わたし達三人は羊に掴まって岸を目指したのだった。
船は小シマロンの軍船に掴まってしまった。なんとかのがれたわたし達は、岸について洞窟で一休み。ヨザックさんはカロリアでシマロンの動きについて調べていたそうで。今の状況も大体グウェンダルには届けているとのこと。なら、安心かな。食料を探してくると言ってヨザックが出て行った後、フリンさんが口を開いた。ユーリに向かって、「あなたをうしなわなくてよかった」って。それほどまでにユーリに希望を見出してるってこと、だよね。フリンさんはどうしても旦那さんの平和を願う意思を引き継ぎたかったけど、女が領主になれないカロリアでは、それはできなかったそう。だからマスクをかぶってノーマンさんの振りをしていた、と。カロリアの捕虜を小シマロンから戻すため、駆り出された若い人達を戻すため、ノーマンさんは必死に小シマロンと交渉していた。フリンさんも彼になりすまして、必死に交渉を続けた。ウインコットの毒を、大シマロン渡してまで。でも、ウインコットの毒で操れるのは、ウインコットの血を継ぐ者だけ。フリンさんはユーリをウインコット家の者だと思っている。多分わたしの事も。ということは、フリンさんはユーリを利用して大シマロンに引き渡そうとしている・・・?だとしたら、言うべきなのかな、わたし達はウインコットの血は継いでいないと。いや、ユーリは言うなって、言うだろうなぁ。それにしても、毒に侵された人を操って、何に使うんだろう。思っていると、健ちゃんが口を開いた。
「それにしても、ウインコットの毒なんて何に使うんだろうねぇ?渋谷ぁ」
「あ、あぁ」
ユーリに訊いてもわからないと思う。けど答えはあっさり、フリンさんの口から出てきた。
「箱を手に入れたのよ」
「箱?」
「は、こ・・・?」
なんだろう、嫌な予感がする。
「えぇ・・・ウインコットの毒・・・その箱の鍵を、意のままに操るためのもの」
「何の話だよ?それ」
箱って、鍵って、まさか、って思ったとき、洞窟の入り口で足音がした。ヨザックさんが帰って来たのだと振り向いたら、ヨザックさんは、小シマロン兵に捕まっていた。
捕まって連れて来られた先には、フリンさんのお屋敷で会ったマキシーンと、アーダルベルトさんだった。そしてその傍で護送されているのは、布がかけられた、何か四角いもの。あの形、あの大きさ、箱だ。・・・待って、なんで箱なんて知ってるの?ロイエさんが知っていた?いや、違う、これは、なんだろう。
「・・・さん?」
「・・・なんでもない」
わたしの様子がおかしいと気づいた健ちゃんに、小さく首を振る。考えても仕方がないことは、考えても仕方がない。わたし達は先に捕まっていた捕虜の人達と一緒に歩かされた。マキシーンとアーダルベルトさんが近づいて来て話すと、心の奥でロイエさんが少しざわつく。落ち着いて、っていうと沈んでくれてほっとした。マキシーンもユーリがウインコット家だと思っている。アーダルベルトさんはユーリが魔王だと知っているはずだけど、なぜか明かしていないみたい。何か思う所があるのかな、と思っていると、マキシーンが「そうだ」と案を出した。
「あれを試すのに魔族がいるのも一興だ」
マキシーンが示したのは、箱だった。
連れて来られたのは岩壁に囲まれた山の先、広いクレーターの中だった。そこの物置に入れられて、時を待つ。
「フリンさん、フリンさんが言ってた、ウインコットの毒がどうとか、箱がどうとかって話、あれって一体」
「箱?それってまさか、4つの禁忌の箱のことか?」
ユーリの言葉に反応したのはヨザックさんだった。
「4つの箱?」
「・・・決して触れてはいけない、4つの箱」
自然と声が出ていた。
「遠い昔、眞王陛下が、世界を滅ぼそうとした創主を封じた4つの箱。風の終わり、地の果て、鏡の水底、凍土の業火。箱にはそれぞれ鍵があって、その鍵でしか、箱は開かない。箱と鍵が一致しなくても、何が起こるか、わからない。箱が開けば、世界が終わる」
「世界が終わる!?」
「・・・その箱のひとつ、風の終わりを大シマロンが手に入れたのよ」
「え!?」
そして、鍵も見つけたと。鍵はある一族の身体の一部。風の終わりなら、左腕。・・・風の終わりの鍵・・・左腕・・・一族は、どこだったか・・・。
「ウェラー・・・?」
「あん?ん?そういや坊ちゃん、姫さん、こんなときにコンラッドはどうしていないんだ?」
「えっ?いやぁ、ほんと、どこにいるんだか・・・」
ユーリが、ヨザックさんを見た。その視線でヨザックさんはなにか感じ取ったようで、それ以上はきかなかった。それよりもって言ったら嫌な感じだけど、わたしは別の事が引っかかっていた。大シマロンが手に入れたのは、風の終わり。風の終わりは、ウェラー家の血を引く者の左腕。今ウェラーの血を引くのは、コンラートだけ。そしてコンラートの左腕は、切り落とされて、しまった。もし、その左腕を大シマロンが手に入れていたら?世界が、終わる。
「あいててててTぞう!痛いよ!」
「え?」
不意に健ちゃんの変な声。仲良しの羊は顔の模様のTラインからTぞうって名前をつけられて、ヨザックさんにもユーリにも懐いてて、わたしも仲良くできるんだけど、健ちゃんには懐いていない。それなのに健ちゃんはTぞうにちょっかいかけに行って・・・もしかして、この沈みきった空気をなんとかしようとしてくれたのかな。箱のおそろしさは、この中では健ちゃんが一番よく知っているだろうから。自分の体験だったわけじゃなくても、魂が覚えているから。ふふ、と小さく笑みがこぼれたとき、ユーリとフリンさんだけが、呼ばれた。
2人が連れて行かれて、シンとなった物置。その中で、健ちゃんの声が響いた。
「渋谷を連れて逃げられるか?」
Tぞうの下から這い出て、ヨザックさんに言う。
「彼らも箱を持っている。開けるつもりだ」
今までにないくらい、深刻な表情。
「こちらの今の戦力では止める事ができない。それでも、どんな犠牲をはらっても、渋谷だけは失うわけにはいかない」
「・・・あんたいったい」
明らかに知っている言い方。さすがに疑問に思ったヨザックさんがこぼして、健ちゃんは笑顔で答えた。
「今は、村田健っていうんだけどね」
間をあけて、健ちゃんは続けた。
「昔は・・・眞王に大賢者って、呼ばれていたよ」
「!」
ヨザックさんが目を見開いて、咄嗟に、こっちを見た。頷くと、ヨザックさんは目を瞬かせてまた健ちゃんに目を戻した。
「・・・猊下」
「て、ことになるのかなぁ。僕が大賢者ってわけじゃないんだけどね」
肩をすくめる健ちゃんと反対に、ヨザックさんの表情はかたくなっていた。
「陛下だけはってのには、賛成です。あの人は、眞魔国の光だ」
「うん、絶対に、ユーリは助ける」
「・・・さんもだからね?」
「え?」
意気込んだら、健ちゃんにじっと見られた。わたし、変な事言った?
「さんは渋谷にとって必要な人だ。なくすわけにはいかない」
「・・・」
言い返そうかとも思ったけど、健ちゃんの目が真っ直ぐすぎて、言葉が出て来なかった。