6月26日、朝。 br> 梓は日々順調に怨霊を倒していた。それにより陰の気が高まってきた影響か、梓は不思議な夢を視たらしい。
「迎えに来て。花の香りがする奥へ・・・か」
「うん。ダリウスは、怨霊の声かもしれないって」
朝食中に梓が夢の話をしたのだ。ダリウスには先に話していて、朝食が終わったら皆で小石川の植物園に行こうとのことである。予定は無いし異議も無い。ルードハーネだけは外せない用があるらしく、彼をのぞいた四人は朝食を終えると、小石川方面へと向かったのであった。
小石川へ向かっている途中で、不意に梓が足を止めた。どうしたの?とダリウスがきくと、「なんだか・・・」と梓は呟いた。そしてじっと前を見据えて目をこらす。
「何か見えんのか?」
「見える・・・というか、感じる、かな。植物園じゃなくて、その手前の、庭園の方」
「ふうん・・・それじゃ、まずはそっちから行ってみようか」
梓の感覚とダリウスの提案に従い、また歩を進める。しばらく歩くと、小石川庭園に到着した。梓が感じた元凶を探していると、不意に空気が冷えた心地がした。
「何かいる」
「え?」
が呟いた言葉に梓が声をもらす。とその時、女性の大きな悲鳴が辺りに響き渡った。
「悲鳴・・・?向こうの方から」
「来てみて正解だったようだね」
「なんだよ。散策だなんて、結局怨霊退治じゃねぇか」
散策、と聞いて来たらしい政虎が呆れの声をもらす。ともあれ一行は、声のした方へと駆けたのであった。
声のした方へ行くと、カップルが何かに迫られていた。それは、ヒトのかたちをしていた。
「なに、あれ・・・。怨霊?ううん、見た目は人間なのに・・・」
考えている余裕はなかった。今にもヒトのようなモノは、カップルに一歩、また一歩と近づいている。
「ダリウス、虎、」
「・・・っ」
銃を構える梓に対し、ダリウスは動揺の色をわずかにのぞかせていた。もまた、目を瞠ってその光景を見つめている。
「ダリウス!?早く行こう!」
「・・・あぁ、そうだね」
梓の声に、ダリウスが静かに答えて仕込み杖を手にする。政虎ともまたそれぞれの得物を手にし、彼らの元へと走った。
「えい!」
充分近くまで行くと、梓はその引き金を引いた。それだけではダメージはあまりいっていないようだが、ソレの気がカップルから梓の方へと向く。
「ここは私たちに任せて!逃げてください」
「・・・あ、ありがとうございます!」
逃げる隙ができるとカップルは礼を言って走り去って行った。獲物を逃したソレは、じりじりと一行のもとににじり寄って来る。
「ふうん、確かに近くで見れば見るほど新種って感じだな。まあ、ひとつおっ始めるとしようぜ」
「・・・・・兄様」
「・・・あぁ」
は、苦渋の表情で鉄扇を構えた。
四人で攻撃をしかけていくと、やがてソレはうめき声を上げて地に倒れた。動けなくはなっているが、まだ息の根はあるようである。
「さて、始末はどうするか・・・怨霊と同様に討伐してもいいものかな」
「おっと」
どうするか思案しているところで、政虎が声を上げた。
「どうした、虎」
「茂みの陰から制服が見えた。ありゃ、精鋭分隊だな」
「精鋭分隊・・・」
彼らも騒ぎの件で報告を受けてきたのだろう。遠くを見れば、確かにその軍服が見え隠れした。
「そう、遅い到着だね。では、後片付けは精鋭分隊に任せようか。みんな、行くよ」
「へいへい」
「はい、兄様」
「う、うん・・・」
このまま置いておけば、精鋭分隊がしかるべき処置をするであろう。一応人の姿をしているものだ。そう簡単に始末したりはすまい。小石川の気配はこれだったのだろうと思っていたが、梓は不意に、わずかに違う気を感じて遠くを見た。
「あれ・・・?まだ何かいる・・・?」
「梓?」
その方向へ一歩、二歩と梓が足を踏み出す。声を掛けたダリウスを梓は振り返った。
「ごめん、ダリウス。やっぱり、この先の植物園にも行ったほうがいいみたい」
「・・・わかった。君のお導きのままに」
ダリウスが薄く笑みを浮かべると、梓はほっとしたように頷いた。そして四人は小石川庭園の奥、植物園へと向かったのであった。
梓が進むまま、その道を行く。だがその先には、先程ちらと見た装いの人影がちらほらとあった。
「げ、こっちにも軍人が回ってるじゃねぇか」
「え・・・」
政虎が言うや否や、鬼の三人はさっと茂みに姿を隠す。が小さく手招きをすると、梓はそちらへと歩いて身をひそめた。あたりを観察していると、不意に赤い色が見えた。その赤い青年に、軍人が一人歩み寄る。軍人が彼に何かを言っているようだ。そしてその途中、軍人が青年を突き飛ばした。途端、彼の腕から、何か異様なものが浮き出てきた。
「なに、あれ・・・」
その様子に軍人が動揺を見せる。対する青年は、やれやれといった表情で首を振った。
「あーあ、攻撃されるとうまく制御できないんだよね。こうなったら、もう止まらないし・・・悪いけど、そっちが逃げてくれよな」
「っ・・・」
青年の言い様は仕方がない、という様子で、腕を抑えて必死にこらえている様にも見える。
「化け物!応援を・・・応援を呼ばなくては!」
軍人はそう言うと、彼に背を向けて走り去って行った。その背を見送りながら、青年は「うーん」と呟く。
「その反応、傷つくなぁ。ま、いいけど」
青年はふうと息をついた。隠れ見ている彼らは、青年の様子に眉をひそめる。
「あの人、さっき人を襲っていたのと同じ・・・?ううん、だけどちゃんと話ができるみたいだし・・・」
「・・・そうだね。なんとか強い力を抑えつつ理性を保っている。・・・なら、山ほど聞き出したい事がある」
その口元に淡く笑みを浮かべ、ダリウスは彼を見つめている。
「おい、ダリウス、まさか・・・」
政虎が声をかけると、ダリウスは得物である仕込み杖を取り出した。
「戦おう。虎、、梓、行くよ」
「えぇ!?」
「・・・本当に気紛れなお館様だ」
「兄様のお望みのままに」
驚く梓をうながしながら、一行は異様な気配を放つ青年へと歩み寄った。青年は近づいてくる彼らの姿に気がつくと、眉をひそめて声を上げた。
「なに?あなたたち。早く逃げないと、危ないよ」
梓はまだ踏ん切りがいかないようで、どこか退き腰である。そんな梓の背に、はそっと手を添えた。
「大丈夫よ、梓ちゃん。手加減はするし、ちょっと大人しくなってもらうだけだから」
「・・・うん」
その言葉にやっと決心がついたのか、梓も銃を構えて青年を見据えた。 br> まずは政虎が仕掛ける。その隙間を縫う様にが鉄扇を振るう。ダリウスが術を織り交ぜ、梓が引き金を引く。青年は不思議な力で攻撃を弾いたり反撃していたが、やがて動きが鈍くなり、腕の異様さも段々と減っていった。
「あっ・・・?力が治まってきたみたい」
彼が言うように、その左腕の蠢く力はやがて消え去った。青年は自分の左腕を見つめて目をぱちくりと瞬かせる。そしてパッと一行の方を見て笑った。
「驚いた。あなたたち、すごいね」
「それはどうも。さて、精鋭分隊が来る前に、一緒にここを去ろうか」
「あなた達と一緒に?」
ダリウスの提案に、青年が首を傾げる。そして「うーん」と唸った。
「その誘いはやぶさかじゃないけど・・・おれ、めちゃくちゃ腹減っちゃったんだよなぁ」
「・・・・・」
「おいしい飯、食えるんだったら、気が進むんだけどなぁ。あと、今晩の寝床も、あると嬉しいなぁ」
「・・・・・」
(なんていうか・・・ずぶとい人・・・)
おそらく歳はそう変わらないだろう。だがなんと肝のすわっていることか。政虎が睨みをきかせながら口元を引きつらせるのにも「あ、怖い顔」などと言って物怖じしない。それどころかまたはつらつと声を上げる。
「だって、おれ、行く場所ないんですよ。ねっ、可哀相だと思って」
「・・・なぁ、ダリウス。かなり図太い神経してそうだぜ、こいつ」
政虎の言葉に、も思わずうんうんと頷いてしまう。最初唖然としていたダリウスも、今や苦笑を浮かべていた。
「そうだね。ルードとは相性がよくなさそうだ」
これにもうんうんと頷く。几帳面で真面目なルードハーネとどこかゆるくておおらかすぎるこの青年は、相性ぴったりとはいかなさそうだ。
「・・・ねぇ、ひとまず怪我の手当てだけでもしてあげようよ。とりあえず邸に帰らない?」
そこへ、黙ってなりゆきを見守っていた梓が口を挟む。怪我?と彼をよく見れば、確かに先程異質な様になっていた左腕には傷があった。
「おおっ!救いの女神、と登場!?」
「?な、なに?」
梓の提案をきいて青年は嬉しそうに笑った。突然女神と言われた当の本人は動揺して目を瞬かせる。
「いえいえ、おかまいなく。ところで、あなたのお名前は?」
「高塚梓・・・」
「では、麗しの梓お嬢様。どうぞ、あならの僕に何なりとお命じください。命を救っていただいたお礼に、あなたのゆくところ、どこへなりとも。そして、あなたのお願いなら、なんでも聞きたいな」
「・・・ええと」
どうやら展開についていけず、混乱しているようだ。
「・・・お前、さっき行く場所ないって言ってたじゃねぇか。この女から、寝床やら食事やらたかる気だろうが。この悪童が」
政虎はどうにも青年の調子の良さが気にくわないらしく、目を細める。そしてダリウスも、小さく首を振った。
「うーん・・・・残念だけど、龍神の神子に情夫は必要ないかな」
(情夫・・・)
その言葉に思わず口元がひきつる。確かに、とも思ってしまった。
「ミコ・・・?もしかして、梓さん、あなたって偉い人?お目付け役の視線がかなり厳しいし・・・」
「兄様はお目付け役じゃないわ」
あまりの言葉にが、む、と口を歪ませる。そんなの肩に手を置いてなだめると、ダリウスは青年に言った。
「まぁ、詮索はよしてもらおう。君、今日の寝食は保障するからついてきなさい」
「ダリウス、いいのか?」
「かまわないよ。部屋は余っているし、食事も、一人分増えるだけだしね」
「・・・うわ、太っ腹」
ダリウスの言い様に、青年は笑って喜んだ。
「ありがとうございます。ええと、ダリウスさん」
「・・・」
「いいね?」
まだ唇ととがらせてどこか拗ね気味なにダリウスが言うと、彼女は数秒間を置いたあと、「兄様が決められたのなら、文句は言わないわ」と返した。一行は青年を連れて蠱惑の森の邸へと帰ったのだが、道中ではすっかり青年と打ち解け、着く頃には笑いあうようになっていたのだった。
夕方になって、ルードハーネが帰って来た。
「今日は街に行っていたんだろう?何か、変わりは?」
「号外が出ていました。意味のわからない記事ですが」
言ってルードハーネは手にしていた号外を持ち上げた。
「同外?どら、オレにも見せろ」
それをルードハーネの手から取り、政虎が目を走らせる。
「・・・“憑闇”現る?」
「人間の身体が突如、変容し、狂暴化した存在・・・の呼称だそうですよ。なんでも、本日参謀本部と小石川に襲撃があったとか」
「あぁ・・・」
ルードハーネの説明をきいて政虎が把握したように声をもらした。と梓も顔を合わせる。
「憑闇ねぇ。たいそうな名前をつけたようだ」
「“帝都の穢れにより謎の病原菌が人体を蝕む。人間でもない、怨霊でもない、闇の化身が帝都を脅かす”・・・少々、うさんくさい話ですがね」
「あの、ルードくん」
呆れの声ももらしたルードハーネに、梓がおずおずと声をかける。
「なんですか?」
「その、“憑闇”なんだけど、うさんくさい話でもなくて・・・」
「・・・腹、減った・・・何か、食わせて・・・」
梓の話の途中で、今まで黙って奥にいた青年が、よろよろと歩いて来てバタリと倒れ込んだ。その光景を目の当たりにしたルードハーネは数秒置くと、「は!?」と声を上げた。
「おや、燃料切れかな?」
ルードハーネの動揺の声をよそに、ダリウスは冷静に言う。
「ルード、この子の治療と食事の用意を頼めるかな」
「はあ、ですが・・・」
「ごめんね、ルードくん。お願い、私も手伝うから」
梓が名乗りを上げ、も便乗し、三人は青年のために治療と料理を尽くしたのであった。