翌朝、7時。ダリウス、、ルードハーネは食堂に集まっていた。政虎はまだ寝ているためここにはいない。あとは梓だけなのだが、まだ起きてきていない。
「疲れがたまって起きれていないとか?」
「そうかもしれないね。ルード、様子を見て来てあげなさい」
「かしこまりました」
ダリウスに言われ、ルードハーネが皿を並べる手を止めて階段をのぼっていった。
少しして、ルードハーネだけが降りてきた。その顔はどこか呆れが混ざっている。だがそんな様子はすぐにはらい、彼は朝食の準備の続きを始めた。
しばらくすると、梓が食堂へ姿を現した。
「遅くなってすみません」
「かまわないよ。おはよう、梓」
「おはようござ、」
「・・・」
「違った、おはよう」
つい丁寧語になりかけた梓にルードハーネがにらみをきかせ、梓が訂正する。もしかしたら先程ルードハーネが様子を見に行った時にも同じようなやりとりがあったのかもしれない。そんな様子も面白がってか、ダリウスは「まだ硬いな」と笑った。
「昨日の今日だ。邸に慣れていないのも無理はないけれど。さて、この朝食で気持ちがほぐれるかな?」
「おはよう、梓ちゃん。ルードのご飯、とっても美味しいのよ」
「え?」
「こちらの席へどうぞ」
どういうことかと聞く前に、ルードハーネが梓を席へ促す。梓は「ありがとう」と言って示された席の前に立った。それに続いてダリウスともそれぞれの席につく。
「昨夜は慌ただしくてしっかり食べる余裕がなかったからね。きっと、お腹が空いているはずだ」
梓はテーブルに並べられた料理に目を瞬かせていた。朝から何品もの料理が並んでいる。
「西洋料理に馴染みがないなら和食も用意できますが」
「ううん、どっちも好き・・・」
戸惑いが伝わったのかルードハーネが言い、梓は首を振った。そしてふと、気づいた。
「そういえば、もうひとりの・・・」
「虎のことかい?まだ寝てるんだろうね」
「・・・・・」
チ、と小さく舌打ちが聞こえた気がした。ダリウスにはきこえないようにしたつもりだろうが、おそらくきこえているだろうなと、は思う。
「虎を待っていたら朝食が昼食になりかねない。先にいただくとしよう。ルード、今日のスープは何かな?」
「ヴィシソワーズ・・・じゃがいもの冷製スープです。飲みやすく、滋養のあるものにしました。リーキの代わりにネギを使ってアレンジしていますので、レシピどおりの味ではありませんが」
「いいね、むしろ楽しみだ」
「・・・さっきも言っていたけど、ひょっとしてこの朝食、ルードくんが作ったの?」
ダリウスとルードハーネの会話をきき、のさっきの言葉を思い出した梓がルードハーネに問い掛ける。
「ひょっとしなくても、そうです。何か問題が?」
「いや・・・」
「さぁ、いただこうか。梓、早くおかけ」
「・・・うん。失礼します」
梓が席につき、ようやく朝食が始まる。梓は料理を口にすると、目を丸くし、ルードハーネを見た。そしてまた別の品を口にし、またルードハーネを見る。そんな様子には小さく笑いをこぼし、見られている本人は息をついた。
「落ち着きのない人ですね。皿と私を交互に見つめて面白いですか?」
「・・・ごめん。料理が、あんまりおいしいから」
「大げさな。お腹が空いている時は、なんでもおいしく感じるものです。賛辞など結構ですから、食事に専念を」
(本当に美味しいのになぁ。ルードは素直じゃないんだから)
いや、それが当たり前になっているから、自分ではなんとも思わないのかもしれない。梓とルードハーネの会話を面白く感じながら、はフォークとナイフをすすめる。
「しばらく外しますが、どうぞ食事を続けていてください」
言ってルードハーネが食堂を出て行くと、ダリウスもくすりと笑った。
「さっそく、世話役にぴしゃりとやられてるね?」
「うん・・・」
「料理は気に入ったようだけど」
「・・・すごく」
梓が素直に言うと、ダリウスは嬉しそうに「ふふ」と笑った。
「だろうね。ルードの腕は一級品だ。料理に限らず、家事や事務ならなんでもこなす。おかげで家政婦いらずだ」
「手伝ってもどうしてもルードの方がすごいから、反対に邪魔になってしまうこともあるのよね・・・」
「それはお前の腕次第かな?」
ダリウスに言われ、う、とが息づまる。それはさておき、とダリウスは話を戻した。
「ルードは規律には厳しいけれど、理不尽なことは言わないよ。君にも、おいおいわかる」
そこへ、「失礼します」と声を掛け、ルードハーネが戻ってきた。
「油分の多い料理でしたから、さっぱりする飲み物をお持ちしました」
「それは?」
「リンゴとレモンの果汁に、蜂蜜を混ぜたものです」
「あぁ・・・疲労回復に効くんだったかな?」
「はい」
「じゃあ、梓向けに作ったわけだね」
「え・・・」
ダリウスの言葉に、梓は目を丸くしてルードハーネを見た。対するルードハーネは平然としている。
「ダリウス様は召し上がりませんか?」
「俺は、そろそろ出かけないと」
「え、兄様もう出るの?私飲みたかったわ・・・」
「なら、残しておいてもらいなさい」
ダリウスがルードハーネに目配せすると、彼は黙ってうなずいた。は彼に「ありがとう」と言い席を立つ。ダリウスもまた、席を立った。
「中座してすまないね。ルード、後のことは頼んだよ」
「お任せください」
「ではね、梓。怨霊退治、つきあえないけれど、無理をしないように」
そう言うと、ダリウスは空間移動でその場から姿を消した。その一瞬を見て、梓は目を瞬かせていた。
「そんなに驚くことかしら?」
「だって、一瞬で消えるなんて、見た事なかったから・・・」
「まぁ、そうね。これは鬼の力だし」
「・・・さん、ダリウス様がお待ちですよ」
「あっ、そうね!」
いけないいけない、とつい話し込んでいたことを反省し、は二人に手を振った。
「それじゃ、いってきます。ルード、梓ちゃん」
「いってらっしゃいませ」
「い、いってらっしゃい」
二人の言葉をきいて満足すると、もダリウス同様、一瞬にして姿を消した。
鬼の兄妹は帝都の街を歩いていた。並ぶ金色の容姿は目立ち、目を惹かれる。端正な西洋人風の二人に視線が集まるのを、は少々こそばゆく感じていた。
「ふふ、まだ慣れないかい?」
「慣れないわ・・・」
一人でいる時はそう感じないが、兄と歩くと格段に多くなる。けれど兄と共にいることは好きなので、周りの視線を気にしないようにするしかない。は小さく息をついて前を見据えた。
二人が到着した場所は、一見さんお断りの喫茶店、ハイカラヤだった。だが二人は立ち止まる様子は無く、その扉に手をかける。カランとベルが鳴り、扉が開かれた。
「いらっしゃ・・・あら」
入口の方を振り向いたマスターが二人を目にとらえてにこりと笑った。
「いつ見ても目の保養ね〜。二人そろってると倍増して潤うわ〜」
「ふふ、ありがとう」
マスターの軽口にダリウスが笑みで返す。そしてきょろと辺りを見渡した。
「“彼”はいるかい?」
「えぇ、奥にいるから呼んでくるわね」
「頼むよ」
ダリウスが言うとマスターは頷いて店の奥へと入って行き、少しすると、ひとつ人影を連れて戻ってきた。
「やぁ、村雨」
「こんにちは、村雨さん」
「ん」
里谷村雨。一般的に有名なのは小説家としての名前だ。だがここでダリウスらが会う里谷村雨は、情報屋としての顔だった。
「例の件はどうだい?」
「まだ、だな」
「そうか。もう少し様子見というところかな?」
「そうだな」
ダリウスの問いに村雨は淡々と返していく。
「そうか、ありがとう、また来るよ」
言い、ダリウスは踵を返す。早々に立ち去るようだ。
「、お前はどうする?」
「この後はお仕事の方でしょ?私は行けないから、適当に散策して帰るわ」
「本当に散策が好きだね、は」
にこりと笑うと、ダリウスは今度こそ店を出て行った。その場にはと村雨が残される。
「えーと、とりあえず、村雨さんの特製を一杯くださいな」
「はいはい」
ダリウスによく似た顔でにこりと笑うと、村雨はひとつ息をついてカウンターの方へと入って行った。村雨が淹れてくれた特製ブレンドコーヒーを楽しんだ後、はハイカラヤを後にして再び街を歩くのだった。
その夜。陽が暮れる前に邸に帰ったは、夕食を梓達と共にした。風呂を済ませて部屋で読書をしていると、不意に気配を感じて顔を上げた。ダリウスの帰宅だ。はダリウスの気配を、その気を感じるのが得意だ。とくにこの邸と蠱惑の森にはダリウスの術が施されているから、変化などを感じ取りやすい。ダリウスが帰って来た事がわかったは、兄を出迎えるべく部屋を出た。だがホールが少々騒がしいことに気づいて階段の途中で足を止める。そこにはダリウスと、ルードハーネがいた。そこか焦りの色が見えるような気がする。
「兄様、お帰りなさい。どうかしたの?」
「あぁ、ただいま。・・・梓が部屋からいなくなっていてね」
「梓ちゃんが?」
は目を瞬かせた。邸から出た人がいたなど、気付かなかった。よほどうまく気配を消していたのか、まだ会って数日の人間ゆえに感じ取る事ができなかったのかは定かではない。
「逃げ出した、ということはないだろうから・・・きっとふらりと散歩に出かけたんだろうね」
「でも、この森は」
「あぁ。知らない者が一人で歩くのは危険だ」
蠱惑の森にはダリウスとの空間移動と幻術、そしてルードハーネの結界術を合わせた特殊な術がかけられている。歩くコツを知っていなければ、空間の歪みでずっと森を彷徨い続けることになる。
「私、捜しに行くわ!」
「あぁ、俺達も今そうしようとしていたところだよ。行こう」
ダリウスの言葉に頷き、三人は蠱惑の森へと梓を捜しに出た。
ルードハーネと別れ、ダリウスと森を歩く。は歩きながら、斜め上にある兄の顔をじっと見つめた。余裕があるようで、どこか余裕の無い色。
「・・・兄様」
「なんだい?」
「兄様はどうして梓ちゃんをそこまで気にするの?神子だから?」
「そう、だね・・・あの子は・・・」
歩を止めてダリウスが言葉を切る。少し間があったあと、ダリウスは空を見上げた。幾つもの星が、夜空に瞬いている。
「あの子は、俺の運命だから」
運命?とが返したが、返事はなかった。そのままダリウスは再び歩きだし、も慌ててあとを追った。
それからダリウスともわかれて梓を捜していたが、ほどなくしてダリウスに発見された。無事な姿を見て、ほっと胸をなでおろす。
「心配かけてごめん」
「ううん、いいの。無事に戻ってくれて良かったわ」
申し訳なさそうに言う梓には笑ってみせた。ダリウスに手を引かれて戻ってきた時は目を丸くしたが、無事ならそれでいい。梓はそのまま部屋に戻って休み、食堂にはダリウスと、ルードハーネが残った。ダリウスが紅茶を飲むというのでも同席してルードハーネが淹れてくれた紅茶をいただく。カップに注がれた紅茶の香りが鼻をくすぐった。
「ダリウス様、神子への叱責がないままでよろしいのですか?」
ダリウスが紅茶を飲むと、ルードハーネが話を切り出した。
「いくら森から出る術を知らないとはいえ、また勝手に邸を離れることがあっては厄介です。重く注意を与えておくべきでは・・・」
ルードハーネの言い分も一理あるだろう。また迷子になられたら捜しに行くのが大変だし、それこそ歪に入られたらこちらから引っ張り出すのも容易ではない。だが、ダリウスは小さく笑みを浮かべて答えた。
「ルードは大仰だね。心配など、いらないよ」
カチャ、と小さく音を立ててカップが置かれる。
「さっき、話してよくわかった。今日のは、本当にただの散歩さ。大方、家が恋しくなったんだろう。思いの外、純粋で・・・可愛らしいじゃないか」
ふふ、と笑みがこぼされる。
「できるだけ、神子殿には優しくしてあげなさい」
「・・・純粋と言えば聞こえはいいですが、ダリウス様に対しても分をわきまえない節があります。失礼ながら、これからも手を焼かされることは目に見えていますね」
「ふふ、そう?俺を楽しませてくれるなら、少々手がかかっても歓迎だけれど。しばらくの間、一緒に暮らしていく子だ。退屈するよりは、よほどいいね」
「・・・・・」
本当に、楽しそうだ。思わずがじっとダリウスを見ていると、兄は「何?」と彼女にきいた。は「ううん」と首を振る。
「ダリウス兄様、よほど梓ちゃんの事を気に入ったのね、と思って」
「そうだね。想像とはかけ離れていたからかな?」
大人しくおしとやかで、“神の子”の名に当てはまる娘が選ばれると思っていたのだろう。だが実際に龍神に選ばれて召喚されたのは、どこにでもいそうなごく普通の少女。行動や反応を見たり、話をするのが楽しいのだろう。
「だって、梓のことを気に入ったんだろう?」
「えぇ、まぁ。自然に接することができそうだし」
「それならよかった」
ダリウスが笑うと金の髪が揺れた。その後もう少しだけ紅茶を楽しみ、は二人より先に部屋へと戻って床についた。