翌朝、は身支度を整えて食堂へと降りた。きょろ、と首を振ってみるが、そこにいるのはいつもの顔ぶれだけである。
「おはよう、。彼女はまだだよ」
「おはよう、兄様。そうなの、残念だわ」
察した兄が声をかけると、はそう言って席についた。ちょうどルードハーネが朝食を運んで来てくれて、ありがとうと返す。
「昨晩あれだけのことがあったからね。疲れがたまっているんだろう」
「異世界から来て、龍神の力を使って、陰の気を身に入れて・・・どんな感覚なのか、想像もつかないわ」
「そうだね」
まだ眠りについている神子について話をしながら食事を済ませる。少女が部屋から降りてきたのは、頃合いを見計らってルードハーネが食事を持って行った数十分後のことだった。
「あの・・・」
「やあ、起きたんだね」
ダリウスが笑みを浮かべながら、少女に声をかける。
「うん、顔色も悪くない・・・よかった。ええと・・・名前を聞いていなかったね。教えてくれるかい?」
「・・・高塚梓です」
「・・・梓。いい名だ」
ダリウスが笑顔のままうんうんと頷く。
「俺はダリウス、こちらはルードハーネだ。俺はルードと呼んでるよ」
「ルードハーネです。ダリウス様より、あなたの世話役を命じられました」
「世話役って・・・それだと、まるで私がここに住むみたい」
「みたい・・・ではなく、そのとおりだよ」
ダリウスが梓の言葉を肯定すると、彼女の顔に動揺の色が見えた。
「でも、私、元の世界に帰らないと・・・」
「帰り道もわからないのに?」
「・・・!」
正論を言われてしまい、梓は口をつぐんだ。帰り方どころか、状況すら把握しきれていないだろうに。
「ねぇ、兄様。そろそろ口を挟んでもいいかしら?」
「あぁ、そうだね」
そこへ、少し離れて立っていたが声を上げた。梓の視線が、へと向く。
「初めまして、梓ちゃん。私は。ダリウス兄様の妹よ。よろしくね」
「初め、まして・・・」
自己紹介が終って満足したはにこっと笑って一歩下がった。梓は一度目を閉じてひとつ息をつくと、まっすぐにダリウスを見据える。
「あの・・・とりあえず話を聞かせてもらえますか?状況を整理したいんです」
前向きな言葉に、ダリウスが頷く。
「梓、昨夜のことを覚えてる?君は召喚の儀式で星の一族に呼ばれたんだ」
「星の一族って、確かあの場にいた・・・」
思い出されるのは穏やかな笑みを浮かべる萩尾九段。
「あの人が私を呼んだんですか?」
「正確に言えば、あなたを龍神の神子に選んだのは龍の宝玉ですよ。星の一族は、龍神の意思に従い神子に仕えるだけです」
梓の問いにはルードハーネが答える。
「龍神の神子・・・昨日もそう呼ばれたけど、神子って何なんですか?」
「伝承にいわく、人に住む都に危機が訪れし時、龍神の遣わしたる神の子降り立ち、厄災を退くらむ」
今度はダリウスが答えた。伝承に綴られた言の葉を紡ぐ。
「怨霊がはびこる帝都東京に救いの手を差し伸べるのが、神子の役目。帝都のすべての怨霊を倒し、平和に導くまでは、君の世界への帰り道は開かれないだろうね」
ダリウスの言葉をきき、梓は俯いた。
「・・・あんまりです。私にだって、今までの生活があるのに。家族と離れてしまうし、急にお見舞いに行かなくなったら、おばあちゃんに心配をかけるし。それに学校だって・・・」
「うるせぇよ」
「っ・・・!」
梓の訴えをきいていると、ソファで寝ていた政虎が身体を起こした。
「おちおちい居眠りもできやしねぇ」
「そもそも、寝ていること自体おかしいんですけど」
「ソファなんかあるのが悪い」
「虎くん、それ理由になっていないわ」
ルードハーネとが呆れの声をもらすが、政虎には響いていない。そんな二人はおかまいなしに、政虎は梓へと顔を向けた。
「それより、なんだ、その女。さっきからごちゃごちゃと。お前は鬼にかくまわれたんだ。つべこべ言ってんじゃねぇ」
「虎くん、そんな言い方・・・」
「うるせぇ。ダリウス、力ずくで言うこと聞かせた方が早いんじゃねぇか?」
またもの言葉を一蹴し、今度はダリウスへと向く。だがダリウスはたしなめるように返した。
「虎、乱暴な口を利くものじゃない。急に見知らぬ場所に飛ばされたんだ。混乱するのが当たり前だろう」
うんうんと兄の陰から頷くが見えて、政虎は小さく舌打ちした。ダリウスはそんな光景を見た後、梓へと向き直る。
「だけど、梓、状況はそんなに絶望的ではないよ。君はすでに、怨霊を導く力を見つけただろう?昨日のことを思い出して」
昨日、彼女は怨霊を倒し、鎮めてみせた。
「君の手助けは、俺たちがする。ひとつひとつ、できることをやっていこう」
言うとダリウスは、梓の方へと足を進めた。
「さあ、俺の手をとって。まずは、外に出ようか。君が帰る方法について説明するよ」
「・・・・・」
梓は数秒思案してダリウスの顔を見ていたが、やがて意を決して差し出されたその手をとった。
「いい子だ。、ルード、虎。梓を連れて少し出てくるよ」
「えっ?ダリウス様、」
「えー!留守番!?」
ルードハーネとの声をきく間もなく、ダリウスと梓の姿はダリウスの空間転移によって消えてしまった。後にはとルードハーネと政虎が残される。
「・・・手を引いて、外へお散歩か。まるっきり、子守りじゃねぇか。龍神の神子様にはまぁ甘ぇこと」
「・・・口を慎んでください。ダリウス様にはお考えがあってのことです」
「オレには、よくわからねぇわ。どこまで、あの女が、意味を成すやら・・・」
「そうね・・・でも、梓ちゃんはやっぱり私達とは“違う”ものがあるわ。だから、きっと兄様の望む道を、拓いてくれる」
は蠱惑の森の入り口の方へと顔を向けた。あの少女がきっと力になってくれる。そう、希望を抱いて。
陽が落ちた頃、ダリウスと梓は帰って来た。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、ご無事で何よりです」
「お帰りなさい、兄様。梓ちゃんもお帰り」
「・・・ただいま」
出迎えたのはルードハーネとだ。ダリウスはきょろと見渡して政虎の姿が無い事を把握する。
「ちなみに虎くんは部屋で寝ているわ」
「まったく、ダリウス様からの指示がなくとも、やるべきことはあるのに」
「彼らしいね」
ルードハーネの呆れ声とは裏腹に、ダリウスの声には笑みすら浮かんできこえる。ダリウスはふと、テーブルの上にあるものに目を落とした。
「そこにあるのは今日の新聞かな?」
「はい、朝のうちに買ってきたものです。お読みになりますか?」
「ありがとう。ひとつ、確認しておきたいことがあってね」
ルードハーネから新聞を受け取り、ダリウスはそれを広げた。パラ、パラ、とページをめくり、「ふうん」と声をもらす。
「兄様?」
「いやね、てっきり、『消えた龍神の神子』なんて見出しが出ているかと思ったけれど・・・何も記載が無い。帝国軍は、神子の降臨を隠す方針のようだ」
「帝国軍・・・」
帝国軍の名に反応したのは梓だった。
「こっちの世界に飛ばされて来た時、周りに軍服の人たちがいたけど・・・」
「そう、彼らは帝国軍に所属する軍人だよ」
「軍はあの時、龍の宝玉を使って神子の召喚儀式を行っていたのです。昨日の様子を見ればわかると思いますが、帝国軍と我ら鬼の一族とは、対立関係にあります」
「・・・どうして?」
驚いたかのように梓が目を瞬かせる。その問いにも、ルードハーネがはっきりとした声で答えた。
「目指すべきものが、私たちとは違います。帝国軍は鬼の異能の力を忌み嫌っていますし・・・我々も、彼らの強権的な統治には、賛成できかねます」
「・・・軍隊が、国を支配しているということ?」
「そうです。すべての権力は軍に集中すべきというのが彼らの理念・・・したがって、鬼が持つ異能の力は、軍にとって目の上のこぶです」
「鬼の一族は、古来から人々に恐れられていた」
ルードハーネの言葉を引き継ぐように、今度はダリウスが口を開く。
「だからかな。俺たちは、なんでも災いの元凶にされてしまう。怨霊騒ぎについても、例にもれず」
「まったく・・・本当に忌々しい」
「私達は、何もしていないのに」
ぎゅっとが手に拳をつくった。
「人間たちが怨霊を増やしたくせに、原因を省みず、神子を呼び、鬼に責任を押し付けるとは」
「・・・?」
ルードハーネの言葉に梓は首を傾げた。それを拾ってダリウスが説明する。
「先日、帝国軍は急激に怨霊が増えた原因を、鬼の陰謀だと公示したんだ」
「えっ・・・」
「2、3年前からか・・・怨霊が増えたのは、時の流れのせいだよ。このところ、急激に文明が進んで、いろんな思想や欲望が渦巻いて・・・邪気に導かれて、怨霊が力を増し、龍脈は穢れた」
「・・・・・」
梓がダリウスの話を黙って聞いていた。何が大切なのか、本当なのか、しっかりと把握するために。
「怨霊の出没を鬼の責任にされ、誤解されたまま、奥地に潜み、暮らすのも楽じゃない。西洋人と容姿が近いから、簡単に正体を見破られないのが、まだ救いだけど」
ダリウスは梓を見つめた。群青色の深い瞳が梓の緑色の瞳と交じり合う。
「帝都の危機が鬼の一族のせいではないと証明したいんだ。鬼の一族は、君と共に帝都の怨霊を祓っていくよ」
「あの・・・帝国軍は、なぜ私を召喚したんですか?」
「このところ、帝都では怨霊の数が増加する一方。神子を召喚し、その解決を図ろうとしたんでしょう。・・・あのまま帝国軍の元にいても、権力の道具として利用されるだけですよ。帝都の怨霊がいなくなるまで、こき使われていたと思います。公の所有物に人権などありません」
「え・・・」
「こわいわよね、でも事実そうなる可能性が高いから、貴女をここへ連れてきたのよ」
が首を振り、ダリウスがうんうんと頷いた。
「そうそう、その点、うちは堅苦しい神子の役目などに君を縛りつけないし・・・君が元の世界に戻りたいなら、その意志を尊重するよ」
「・・・・・」
梓はまだ信じきれないようで、眉間には皺が寄っていた。そんな梓に、ダリウスが優しく微笑む。
「警戒しないで。君と俺たちは利害が一致している。つまり、仕事仲間のようなものだと思ってくれたらいい。怨霊を倒すという、同じ目的を持つ者同士、手を組んだほうがいいだろう?」
言ってダリウスが、右手を差し出した。
「しばらくの間、よろしく」
「・・・」
梓は数秒その手を見つめていたが、一度目を伏せると、その手に自分の手を合わせた。
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします。ダリウスさん・・・ルードハーネくんと、さん」
「ダリウス、でいいよ。その堅苦しい言葉使いも、やめにしようか」
梓の決断を見て、ダリウスは満足そうに笑った。
「ルードハーネのことも、ルード、と。かまわないね、ルード?」
「ダリウス様がおっしゃるなら」
「私のこともでいいわ、梓ちゃん」
も手を差し出し、梓はその手もとった。
「短い間かもしれないけれど、俺たちは仲間だからね」
「・・・仲間。そう・・・ですね」
梓はまっすぐ、彼らを見つめた。
「これから、よろしく。ダリウス、ルードくん、さん」
「、よ。」
「で、でも、あなたは私のこと、梓ちゃんって・・・」
「私はいいの!ほら」
「・・・」
梓が観念してを呼びすてると、彼女は満足そうにうんうんと頷いた。そのやりとりを見て、ダリウスも嬉しそうに笑みを浮かべる。
「よかった、やっと少しだけ表情を和らげてくれたね。妹とも仲良くなれそうでよかったよ」
「この邸に女は私一人だったから、同性の子が来てくれて嬉しいわ」
「そう、なんだ・・・」
確かに、一人は兄とはいえ、男ばかりの邸に女一人だと何かと不便もあるだろう。
「さて、疲れただろう?今日はもう部屋で休むといい。後で軽食を届けさせるよ」
「ありがとう・・・」
ダリウスの言葉に梓は素直に礼を言った。
「あの、明日からはまた、怨霊を退治しに行くんだよね?」
「あぁ、外へ出る時は、ひとりかふたり、供をつけるといい。ただ、明日は俺とは用事で付き添えないから、虎を連れておいで」
「虎って・・・」
「本条政虎。ダリウス様の雇われ人です。先ほども会ったでしょう」
「・・・!」
ルードハーネの言葉でしっかりと察した梓の表情が少し曇る。第一印象がアレだ。こわい印象を植え付けてしまったのだろう。
「・・・大丈夫ですか?あの人、怖い人なんじゃ・・・」
「あれを怖がる必要などないですよ。一族の純血種ではないからか、品位と清潔感には欠けていますが」
「うーん・・・その言い方はどうかと思うけどね」
「私も兄様に一票。差別は良くないわ、ルード」
「・・・失礼しました」
ダリウスと二人に言われ、ルードハーネは口をつぐんだ。うん、と頷きダリウスは梓へと顔を戻す。
「虎は、仕事はきっちりこなすほうだ。心配はいらないよ」
「もし何か言われたりされたりしたら私に言って?こらしめてやるから」
「ほどほどにね、」
「・・・・・」
梓の胸にはまだ不安が残っていたが、疲れている事が事実なので部屋に戻る事にした。梓が部屋に戻り、ルードハーネが軽食を用意している間に、は兄の元へと寄る。
「兄様、どうだった?手ごたえは」
「いい感じだったよ。怨霊の気配も読めているし、力もひとまずきちんと使えているようだ」
「なら、大丈夫そうね」
「街のことはお前がいろいろ面倒を見てあげるといい。女の子同士の方がやりやすいことが多いだろうからね」
「えぇ、任せて!」
「あぁそうだ、」
意気込んで自室へ戻ろうとしたをダリウスが引き止める。半身返して首を傾げたに、ダリウスは少し淋し気な目を揺らして言った。
「彼女を、見つめてはいけないよ」
「・・・わかっているわ」
は視線を落として右手で目を覆った。数秒そうした後、今度こそ踵を返して部屋へと戻り休んだのであった。