熊野川に潜む闇
数日たっても熊野川の氾濫はおさまらなかった。さすがに焦りが出て来て九郎が苛々している。それを横目で見ながら、はせっせと支度をしている。
「さん、なにしてるの?」
望美がひょいと顔を覗かせるのに、手を休めないまま「出かける準備」と答える。
「少し出かけるにしては大掛かりな荷物ですね」
朔も首を傾げた。よし、とが立ち上がると、弁慶が「さすが、はやいですね」と笑う。
「では行ってきます」
「どこへ行くというんだ?」
九郎が困惑気味に眉をひそめるのに、は笑った。
「ちょっと熊野川まで」
勝浦から北。熊野川の中流付近に、はいた。川は確かに増水しており、うかつに入るのは危険だ。
「橋無理、船無理、泳ぐのも無理。でも一番の問題は・・・」
は空を見上げた。熊野川上空は黒雲に包まれており、いかにも“何か”ありそうな雰囲気である。しかし黒雲は熊野川上空
だけで、勝浦方面はいい天気だ。
「何か、いる」
中流にはいない様だからよくわからないが、何かが川を増水させているのだろう。原因を探るには上流に行くしかない。は面倒事に息をつき、勝浦への道を歩いた。
勝浦に戻ってみんなに報告すると、ならば熊野路から上流へ行こうということになった。熊野路は通行止めされていたが、原因を調べに来たといえば何とかいけるかもしれない。そして案の定、行けた。通行止めをしていた貴族が、一行を今日から来た陰陽師だと思い、また弁慶が肯定してしまったものだから、すっかり信じ込んでしまったのだ。実際に陰陽師でもある景時も苦笑い気味に乗り、通行止めの場所は突破した。
その先には、後白河天皇がいた。どうやら彼も本宮へ行きたいが通れない状態らしい。後白河天皇は九郎と、なぜか将臣が一緒にいる事に驚き面白がっていたが、心よく通してくれた。
熊野川上流は、荒れていた。天候が悪く、川は中流以上に増水している。白龍が、何かの気配を感じ取った。
「やはり、何かいるのね」
も警戒を怠らず、川を睨みつける。
「ここまで来て、見てるだけってわけにもいかないだろ。渡れる場所を探すぜ」
言って将臣が足を踏み出した時、別の所から声がかかった。
「そこの武士の方!この川を渡るのはおよしになって」
いつの間にいたのだろう。女房が一人、そこにいた。彼女が言うにはこの川には怨霊がおり、夫と舎人たちも飲みこまれてしまったらしい。
(・・・怪しい)
直感、と言ったら怒られるだろうか。無意識に目を細める。将臣もと同じことを思ったのか、女房に「こんなところに残って何をしているのか」ときいた。すると、女房は口ごもる。
「将臣!女性にその言い方はないだろう。頼る者を失くして心細い者に咎めるような口を利くな」
将臣を咎めたのは九郎だった。その様子には内心息をつく。単純というか騙されやすいというか信じやすいというか。これは彼の長所で短所だ。
「・・・私も、将臣に同意です」
「なっ・・・、お前までそんな事を言うのか」
九郎が戸惑いを見せるが、は構わず続けた。
「頼る者がいなくなってしまったのなら、田辺まで戻って熊野水軍を頼ればいい。ですが、彼女はそれをしなかった。なぜですか?」
「そ、それは・・・熊野水軍の方々に一介の女がお話しして助けていただけるかと・・・」
女房の言葉に、は自分でも驚くほど嫌味に鼻で笑っていた。
「熊野水軍も見くびられたものね!
熊野水軍が、水事で困っている人を捨て置くとお思いで?」
「!!」
九郎が、咎めるようにの腕を掴む。二人の視線がかち合うが、先に目を離したのはだった。大きくため息をついて、川面を見据える。
「九郎、あなたはもう少し観察力を鍛えるべきです」
「・・・何?」
「九郎、川面をよく見てみなさい」
の言葉に眉をひそめるが、リズヴァーンに言われて川面を見る。彼女の影だけ、川面に映っていなかった。
「おのれ。今一歩で龍神の神子どもを亡き者にできたものを!」
見破られ、女房が正体を現す。みなその怨霊に武器を構えた。
怨霊自体の力はそう強くなく、程なくして倒す事が出来た。望美が封印をし、熊野川が落ち着きを取り戻す。
「先生、ありがとうございました。先生のご指導が無ければ、危ない所でした」
「私より前に、言うべきところがあるのではないか?」
自分に頭を下げる九郎に、リズヴァーンは目で二人を示す。将臣とが、九郎を見た。
「そうだな・・・お前の洞察力のおかげで助かった」
「ただのラッキー・・・まぐれ、運が良かったってだけさ」
そう言う将臣に苦笑し、九郎はに目を向ける。
「・・・その、すまなかった」
「・・・・・あなたは・・・少しは人を疑う事も覚えるべきです。というよりは、信じすぎます」
それだけ言うと、は九郎に背を向けた。九郎はその背を見つめ、少しうなだれる。と、彼の肩を軽くたたく手があった。
「大丈夫ですよ。あの子は分かってくれています。それに・・・褒めてもいるんですよ?」
「・・・は?」
弁慶の言った意味が解らず九郎は首を傾げるが、意味不明な事を言った本人は何も語らなかった。
先程の怨霊の事も気にはなるが、本宮への道を進むことになった。本宮まで一緒に、という話だった将臣とは、ここで別れる事になる。
「せっかく知り合えたのに、残念ね」
「まぁそう言うなって。また会えるだろ」
けらけらと笑う将臣に、も笑い返す。そんな様子を、九郎は渋い顔で見つめていた。
「九郎さん、どうしたんですか?」
「・・・知るかっ!」
自分の事なのに、と望美は首を傾げたが、同時にもしかして、とも思い、苦笑したのだった。
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