懐かし子のひとつの“いし”
馬瀬に着くと、慌ただしく帰還の準備が始まった。とはいえ源氏軍ではないに手伝えることは少なく、手持無沙汰である。そういえば望美は、と探してみると、奥に姿を見つけて歩み寄った。
「望美、何をしているの?」
「さん・・・」
望美の前に誰か横たわっている。怪我人の介抱の手伝いでもしているのだろうかと顔を覗かせて、は驚きに目を見開いたのだった。
「敦盛・・・?」
「え?」
の呟きは望美にはきこえなかったらしく、首を傾げる。はいや、とかぶりを振って彼を見た。怪我をしている。また、傷が熱を持っているのか、少し苦しそうである。
「・・・さっき、九郎さんに、敵将ならば処断する必要があるって言われちゃって。弁慶さんが、ひとまず目を覚ますまで待ちませんかって言ってくれたんだけど・・・」
望美の表情が沈んでいく。もまた眉を寄せた。
(九郎・・・兄様・・・)
九郎はこの源氏軍の総大将で、責任がある。敵将ならば処断する、は正当な判断だ。
「でも、この人八葉なんだよ。八葉なら、処断しちゃ駄目でしょう?」
「八葉?この子が?」
はまじまじと彼を見た。この子は、敦盛は―――
「・・・・・」
考えるのは、止めた。八葉は宝玉が選ぶという。人の理から外れたものを、八葉でもないが考えても仕方がない。それに敦盛なら、もしかしたら望美に力を貸してくれるかもしれない。根拠のない自信がなぜかわいた。
「きっと、大丈夫」
「さん?」
「きっとこの子は大丈夫」
言って空を見上げた。この満月が、大丈夫だと言ってくれている気がするのだ。
一度望美たちの傍を離れ、は陣の中を歩いた。九郎の姿は見えない。おそらく彼は、敦盛の事を考えている時間すら惜しいはずなのだ。
(望美で駄目だったときは私も懇願してみよう)
八葉を欠けさせるわけにはいかないし、何よりが、敦盛を処断させたくないと思うのだった。
しばらくして先ほどの場所へ行くと望美の姿はなかった。代わりに横たわっていた身体が起き上がっている。
「目、覚めたのね」
「!」
空を見上げていた敦盛がを見る。そして目を見開いた。
「・・・殿・・・?」
「あら、昔のように呼んではくれないのね」
「・・・・・」
の軽口に、敦盛はただ俯いた。
「八葉、なんですってね」
「私が八葉など・・・何かの間違いだ。私は・・・」
穢れている、と口が小さく動いた。声にならなかったその言葉に、が眉をひそめる。
「でも、その右手の宝玉が、八葉の証でしょう?」
「殿にも見えるのか・・・?この石が・・・」
「なぜだかはわからないけどね」
肩をすくめてみせると、敦盛は戸惑った様子でを見つめた。
「殿は、なぜ?」
「源氏にいるのかって?神子に力を貸してくれって頼まれてね。神子と八葉に興味あったし」
「そうか・・・」
「だから・・・」
その続きは口から出てこなかった。
敦盛も自分の意志でどちらにつくか決めなさい。
それだけの言葉が出なかった。
「・・・ともかく、九郎が何と言おうと、私はあなたをみすみす処断させるつもりはないから。連れ帰ってでもね」
「殿・・・」
敦盛に困惑の色が浮かぶのがわかったが、はそれ以上は何も言わなかった。
敦盛の処遇は京へ戻ってから決める事になり、ひとまず源氏軍は丹波道までやってきた。道を歩くは源氏の将兵達、そして捕えた平家の将兵達。処遇の曖昧になっている敦盛の傍らには望美の姿がある。今は任せておいて大丈夫だろう。
「・・・・・」
「あまりしかめ面をしていると戻らなくなりますよ」
「・・・余計な世話だ」
さりげなく九郎の斜め後ろに着き、呟く。
「あの子のことは、私が保証します」
「何の保証だというんだ」
また九郎の眉間に皺が増えた気がした。
「あの子は、大丈夫です」
「だから―――」
振り向いて、九郎は息を飲んだ。が、あまりに穏やかな笑みを浮かべていたから。そのままきっと、三秒ほど時が止まっていた。だが不意に妙な気配がし、二人に緊張が走る。
怨霊が、現れた。
「やはり・・・来てしまったか。行かないと・・・私が、あれと戦う」
「何言っているんだ。そんな身体じゃ無理だ!」
ふらりと怨霊の前へ出ようとする敦盛を譲が止める。そうしているうちに、怨霊は敦盛の方へ向かって行く。と九郎は剣を抜き、助太刀すべく駆けた。
怨霊はそう強くなく、容易に倒せた。
「やった・・・」
望美が安堵の息をつく。
「いや、だが、怨霊は―――」
「そうですね。封印しなくちゃ浄化する事が出来ない」
敦盛が苦に顔を俯かせるのと反対に、望美が気を引き締め直して顔を上げる。らは一歩下がり、それを見守った。
「めぐれ、天の声!響け、地の声!かのものを封ぜよ!」
怨霊が光と共に消えていく。敦盛の目が大きく見開かれた。本当の意味で怨霊を倒し、緊張を解く。敦盛は未だ望美の白龍の神子の力に驚いている。そして、決心したように望美を見据えた。
「神子、頼みがある。あなたの戦いに、私も加えてもらえないだろうか」
は、自分の口元に笑みが浮かぶのがわかった。きっと、敦盛ならこうすると思っていた。
「じゃあ、これからは私達の仲間ですね」
望美が嬉しそうに笑うが、“仲間”と言われ、敦盛は戸惑う。
「そうね、仲間よ」
後押しするように、が前へ出る。
「殿・・・」
「私達と共に戦うのでしょう?」
「・・・あぁ。すべての怨霊を浄化するために。・・・たとえ、一門に背く事になっても」
敦盛の表情は決意に満ちていた。
「平家を見限り、我々に与するということか」
「あぁ」
敦盛の決意は固い。それでも九郎はまだ決断できずにいる。そこへ、景時の助け舟が入った。平氏から源氏に移った者も、少なくないと。
「九郎、先ほど申した通り、この子の事は私が保証します。この子は、嘘をつける子ではありません」
「・・・やけに詳しいんだな」
それにはは小さく笑っただけだったが、九郎はひとつため息をつき、顔を上げた。
「源氏に加わるという意思、間違いないな」
「あぁ」
澄んだ、力強い声。九郎はもう反論しなかった。
「良かったね、敦盛」
「殿・・・」
敦盛に笑いかけると、彼も薄く笑い返した。背後で「敦盛?平敦盛か?」と驚きの声が上がっているが、置いておくことにする。
「それで、昔の様に呼んでくれないの?」
「う・・・それ、は・・・」
「ね、敦盛」
「・・・・・」
気になるのか、仲間内の視線が二人に集中している。敦盛は照れたように少し俯きがちになりながら、呼んだ。
「・・・姉、様」
「・・・敦盛っ!」
ぎゅっと抱きつくと、敦盛が慌ててじたばたする。だがは、そこに確かにある温もりを、しばしの間離しはしなかった。
―――――
やけに長くなった。
Created by DreamEditor