美しきもの
その夜、は泰明と共に仕事に出ていた。さる宮の姫のいる屋敷へと通っていた青年が、日に日にやせ衰え、出仕もしなくなり、そして昨日から帰っていないらしい。本来は晴明にと持ってこられた依頼だったが、晴明が愛弟子である泰明と、気にかけているに託したのであった。
案内人を帰し、二人は邸の門をくぐった。
「?」
不意に何かを感じ、は振り返った。しかしそこには何かがあるわけではない。どうした、と問われ、いえ、と答え、先へ進んだ。
ある程度進んで行くと、段々との顔が歪んできた。鼻に手をやり、臭いを防ぐ。
「・・・死臭が酷い」
「あれだな」
木の陰に身を隠し、泰明が示した。そばに潜まり、もそちらを見る。そこには一人の女がいた。こんな真夜中だというのに、池の魚に餌をやるように何かを放っている。
「・・・まさか」
「そのまさかであろうな」
池の中にいるモノが垣間見えた。ただの魚ではない。あれはいわゆる、人肉を食す人魚。
「・・・ヤッ・・・!!」
「!?」
「!」
突然背後から声がして、二人は振り向いた。そこにいた人物に、は目を瞠る。
「あかね殿・・・?」
「えっ?あっ、あなたは・・・」
どうやらあかねのほうも覚えているようで、目をぱちくりさせていた。
「なぜここに。いや、なぜそのような姿で・・・」
「え?普通に制服ですけど・・・」
「いや、そうではなく・・・」
〔庭で隠れていらっしゃる方、どなたでしょう?〕
しまった、ばれたか。少し待ってみるがこちらへの視線は変わらない。泰明が諦めて進み出た。
「・・・ここに、男が通って来たはずだ。どこにいる?」
泰明の問いに、女はただ黙って池を差した。そこに浮かぶのは、先程女が投げていた何かの塊。
「・・・やはり」
「えっ、ま、まさか・・・」
さっとあかねの顔から血の気が引いた。
「・・・泰明殿」
「、その者のそばにいろ。おそらくやつには見えてはいない」
「えっ」
「わかりました」
あかねの理解が回らぬうちに話が進む。泰明が女を力づくで押しのけ、屋敷に入り込んだ。は札を取り出して警戒しつつ、後に続く。
「ちゃんとついて来てくださいね」
「はっ、はい」
「静かにして気を鎮めていれば、やつらに気づかれることも無いので」
安心してください、というと、あかねはほっと息をついての後ろについた。屋敷に入り込むと、泰明と女主人が対峙している所だった。
「私は、お前を見ても美しいなどと思う事はない。そう感じる心が私には無いから」
ちくり、との中の何かが痛んだ気がした。
「私の目には、野に打ち捨てられた髑髏が映っているだけだ。こんなことをしていては永劫成仏はできないぞ。土へ帰れ」
泰明の言葉が言霊となり、女主人はばらばらと崩れ落ちた。後に残ったのは着物と、砕けた骨だけだった。終わったか、と安堵したのもつかの間。は新たな気配を感じて警戒した。泰明も感じ取り、御簾のほうへと式神をとばした。それを弾き、そこから現れたのは一人の男。金色の髪をもつ、男だった。
「あれが・・・鬼・・・?」
仮面で顔は見えないが、この京で金の髪といえば鬼の一族らしいので、間違いはないだろう。確かに、人間とは違う。神秘的、といえばいいのか。これは畏怖を感じでも致し方が無いとさえ思った。男がおさえていた仮面から手を離すと、スルっと仮面がずれた。式神が結び紐にかすっていたらしい。紐が切れ、仮面がカランと落ちた。
「・・・・・っ」
碧く、深く、冷たい瞳があらわになる。なるほど、確かに人間離れした美しさだ。そういえば友雅は、あかねが彼に恋をしていると言っていたか。ふと思い出してしまって彼女を見ると、あぁ納得だ、と目を細めた。頬を赤く染め、明らかに高揚している。恋を、しているのだ。この鬼の男に。男は「美しいもの、清いものなどありはしない」と言い、再び仮面をつけて去って行った。
「・・・あかね殿、あなたもそろそろ・・・・・あかね殿?」
あかねを見て、は目を丸くした。何故この子は泣いているのだろうか。
「・・・」
だめだ、人の心を読む事なんてできないのだから、考えていても仕方がない。今はとにかく、いますぐにでも彼女を“戻さなければ”。
「あかね殿、やつは去りました。あなたも“ご自分の肉体にお戻りください”」
スッとが手であかねの目を塞ぐ。涙は本当にそこにあるかのように濡れていた。これは魂だけのはずなのに。
(強い神気を持つ故なのかな・・・)
スッと息を吸い込み、「目を覚まして。自分の身体が待ってるから」と呟いた。直後あかねの姿はふっと消え去った。
「これで終わりだ。我々も帰るぞ」
「はい」
は一度だけ、屋敷を振り返った。哀れな魂を利用し、憎悪と陰の気で埋め尽くそうとする鬼の一族。初めて鬼の一族と対峙した印象は、違う、だった。聞き及んでいたものは大げさではなかった。異様な風貌と異様な力。忌み嫌い畏怖してしまう気も、わからなくない。それを認めてしまうのは嫌だったが、認めざるをえないのだろうなと、は苦渋の表情でため息をついた。
帰り道を、ただ言葉無く歩く。これはもういつものことで、もとっくに慣れていた。泰明はこういう人物なのだと認識したので、苦に思う事もなかった。しかし今日は、少しだけ違った。
「・・・お前は、何を見て美しいと感じる?」
「え?」
突然問われ、思わず目を瞬かせる。泰明がこのようなことをきいてくるとは珍しい。は少々戸惑いながらも答えた。
「そう、ですね・・・私は風景が多いですね。空や花、山などで・・・」
「・・・私には、そういった普通は美しいと思うものが美しく感じられない」
「泰明殿・・・?」
何やら様子がおかしい。どうしたのだろうか。小さく首を傾げるが、泰明はそれから言葉を発さない。
「・・・美しいと感じる物は、人それぞれだと思います。私のように風景を美しく思う者もいれば、女性に対して美しいと感じる人もいます。反対に、男性に対しても。他にも、衣だったり、飾りだったり、目に見えないもの・・・音、ですね。楽の音色だとか。いまぱっと挙げただけでもこれだけあります」
泰明の表情が戸惑いを見せた。何が言いたいのかよくわからないようだ。
「泰明殿にも“美しいと感じる物”があるはずです。それが何かまではわかりませんが・・・早く見つかるといいですね」
「・・・あぁ・・・そうだな・・・」
泰明の表情は幾分か和らいでいて、はほっとした。少しでも泰明の心を癒せただろうか。と、考えてふと思う。先ほど泰明は「心が無い」と言った。それは一体どういうことなのか。いや、は気づいていた。泰明はおそらく“ひと”ではない。陰陽のバランスが悪いこと、その名が知れ始めたのが二年ほど前の事、その端正な容姿・・・これらから、憶測ではあるが可能性を見つけていた。泰明はひとではないから、心が無いと言ったのではないだろうか。しかしは泰明に心がないなどと思ってはいない。心がないならば、初めて共にした仕事のとき、あのような気遣いは無かったはずだ。心が無ければ、美しいものはなにかなどとはきかないはずだ。きっと知らない事ばかりで、“満たされていない”のだ。泰明の心を満たす手伝いができればいいなと、は密かに思うのであった。
Created by DreamEditor