遙かなる時空を越えて生きる
呼ばれた気がしたのだ。
彼はなんとなく・・・そう、なんとなく、その道を歩いていた。何かに呼ばれた、という言い方もできる。あまりそういうのは信じていないので、ただの気紛れともいえるが、その道へ向かったのだった。そこで彼は、ひとつの光を見つけた。淡く消え入りそうな花。彼はその花に近づき、そっとそれを包み抱え、帰路についた。ただの、気紛れ。彼のとってはそれも、初めはただの気紛れに過ぎなかった。
目を開けると、木製の天井が見えた。覚醒しきらない意識の中で、これは知らない天井だ、と判断する。意識が浮上してくると、ゆっくりと身体を起こした。目に映るのは、和室。しかし和室と言っても、どこか古風というか、本格的というか、時代を感じるような和室だ。やはりここは知らない部屋で、なぜこんなところにいるのだろうかと、疑問半分不安半分に思う。順を追って整理してみよう。いつものように庭で稽古をしていたら、声が聞こえたのだ。呼ばれた、気がしたのだ。それに何かしら反応した、のだと思う。そうしたら意識がふっと遠ざかって、浮遊感。この部屋で目が覚めた、というわけだ。着ている物は、多少緩められているものの、稽古着のまま。とりあえずここがどこで、自分がどうなったのかを把握したいところだ。近くに誰かいないだろうか。
「あのー・・・」
控えめに、御簾の外に声を掛けてみる。何かが動いた気配があった。
「おや、目が覚めたかね?」
露めいた、男性の声。彼は「失礼するよ」と言って御簾に手を掛けた。スッと御簾が引かれ、人影が部屋に足を踏み入れた。軽くウェーブのかかった明るい青緑色の長い髪を、白を基調とした派手な柄の着物に流した、長身の男性。歳は二十後半あたりといったところか。
「えっと・・・」
「状況がわかっていないと見える」
「はい、全く分かっていません」
正直に言うと、彼は不意を突かれたようにきょとんとし、笑った。
「素直で結構だね。では私がわかっている事を話そうか」
「お願いします」
のそのそと布団から出て、彼が座った正面に正座する。
「君は道端に倒れていた。それを私が拾った。以上だ」
「・・・それだけ、ですか?」
「あぁ。簡潔にしてはいるが、私が言えるのはこれくらいだよ」
「・・・・・」
思わず俯いてしまう、これでは“答え”にならない。
「あの、いくつかきいてもいいですか?」
もらえないのなら掴みに行くしかない。
「なんだね?」
「ここは、どこなんですか?あなたは・・・?」
「・・・先に名乗るのが、礼儀ではないのかね?」
「あ・・・すみません、その通りです。私は、安倍といいます」
「安倍・・・?」
彼はわずかに眉を寄せて繰り返しつぶやいた。だが深くは追及せず、の問いに答える。
「私は橘友雅。左近衛府少将をしている。ここは私の屋敷だよ」
「少将・・・?」
今度はが呟く番だった。左近衛府少将・・・そんな役職が現代にあっただろうか。いや、自衛隊などならあるだろうが。しかし“普通”には考えにくい事だった。この本格的な和室といい。
「・・・・・」
常識的にはあり得る事の無い、ノンフィクションの世界の事だし、考えたくはないが、一つの可能性として数える必要があるかもしれない。
「橘さん・・・いえ、殿、の方がいいんでしょうか」
「なんだね?」
「ここは、このまちはなんというところでしょうか?」
「・・・?京、だが?」
「京・・・京都、ではないんですね」
「きょうと?」
友雅が怪訝そうに眉に皺を寄せた。は自分でも半信半疑のまま、決心して友雅の目を見た。
「信じてもらえないかもしれませんが、一つの可能性を、お話しします」
友雅は何も言わなかった。じっとの目を見つめ返し、次の言葉を待っている。
「私はここより、もっと、もっと先の未来から来たようです」
「未来・・・?」
「はい。似てるけど違う平行世界の、がつくかもしれませんが」
「・・・・・」
友雅は顎に手を当ててしばし思案した。嘘を言っているような目ではない。しかし、鵜呑みにできるような話でもない。
「・・・わかった、信じよう」
「えっ?」
友雅の言葉に、は思わず目をぱちくりさせてこぼした。
「嘘をついているわけでは無いのだろう?」
「それは・・・はい。自分でもよくは分かっていませんが」
「ならば、信じよう」
言って友雅は微笑んだ。優しい、笑みだった。
「・・・ありがとうございます、橘殿」
「友雅で構わないよ。あぁ、いや・・・父上、と呼んでもらおうかな」
「・・・は?」
礼に下げた頭を上げて、が間の抜けた声を漏らした。友雅は楽しそうに笑っている。そして、を真っ直ぐ見て言った。
「私の元に、養子に入らないか?」
「・・・・・」
開いた口が塞がらなかった。友雅の身なりは上品で優雅で、おそらく貴族だ。そんな人の元に養子に入るなど。
「そうすれば、ここの世界でも過ごしやすくなるだろう」
が言葉も発せられないくらい驚いていることを感じ取って友雅は続ける。
「私が拾って来たのだしね。遠慮することはないのだよ?」
「・・・いいんですか?」
「もちろんだとも」
は友雅の目をじっと見た後、頭を下げた。
「・・・よろしくお願いします。・・・ちち、うえ・・・?」
「ふふっ」
疑問形になってしまった事に友雅が笑う。なんだか自分が情けなくては眉をひそめた。
「君がいた所では父上とは呼ばないのだろうね。他の呼び方でも構わないし、慣れれば呼べるようになるかな?」
「ど、努力します」
何だかまだ恥ずかしくて俯いていると、ぽん、と頭に何かが乗せられた。
「可愛い娘が出来て嬉しいよ」
友雅の手が、の頭をやさしく撫でる。それが心地よくて、懐かしくて、はしばらく大人しくされるがままになっていた。やがて、目に決意の光を宿し、顔を上げる。突然の事に驚いた友雅が、おや?と手をのけた。
「ひとつ、お願いがあります。私は、あちらでは陰陽師をしていました。この時代なので、陰陽師の仕事はあると思うのですが」
「ほう・・・陰陽師。確かに陰陽師の仕事はあるね。占術や異形のものを相手にするとか」
「その仕事を、させてはいただけないでしょうか。できれば、“女”ということを伏せて」
「・・・それは、なぜかね?」
友雅が、半分面白そうに問いかける。
「女だということで下に見られたくないというのが一番の理由です。動きにくそうだ、というのもあります」
「確かに女性が陰陽師を・・・ましてや戦ったりなどは、無いに等しいからねぇ」
友雅は、ふむ、と顎に手を当てた。
「いいだろう、取り計らおう」
「ありがとうございます・・・!」
「せっかく娘になった子が、政の道具にされるのも嫌だしね」
は、はっとなって友雅を見た。貴族の娘は一族間の仲を取り持つために政略結婚に出されることが多い。表向き男ということにしておけば、それも回避しやすい。はもう一度友雅に頭を下げ、ありがとうございます、と心深くから言った。
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