「何度だって言ってあげる」
奥州米沢城に、2人の客人が訪れていた。中国地方を拠点とする商人・高瀬真暁と、その娘のだ。
真暁は時折、我が子を連れて遠出をする。6歳のにとっては初めての遠出だった。
到着したその日は長旅の疲れが出たのか、米沢城城主・伊達輝宗との挨拶もそこそこに、客間に着くとすぐに眠ってしまった。
そして、翌日。
真暁が仕事に出たため、は1人、庭で遊んでいた。故郷より遙かに遠い地の此処は、初めて見る物が数多くある。
城や庭の造りが違えば、草木や花、虫などの自然物も違う。
はそれらを見ながら駆け回るのに夢中になっており、いつしか部屋への戻り方がわからなくなってしまっていた。
「ここ、どこ・・・?」
呟いてみても周りに人の気配はなく、当然返事は無い。
黙って立ち止まっているだけでは心細くなるばかりなので、はとにかく足を動かした。
きょろきょろと辺りを見渡しながら歩いていると、ふと、あるものに目を惹かれた。
大抵の部屋が吹き抜けだったり廊下で繋がっている中、1つだけ離れた所に建っている、比較的小さめの建物。ごく普通の民家よりは大きいが。
そういえば今朝、「離れにはご病気の方がおられる。お身体に障るといけないから行ってはいけないよ」と真暁が言っていた。ここがその離れなのだろう。
行ってはいけない。だが戻り方がわからない。周りに人がいない以上、ここに誰かがいるのなら、頼るしかない。
は心の中で父に謝り、離れに近づいた。
縁側に手をついて身を乗り出し、膝立ちになる。すると、人が来たことを感じ取ったのか、中で物音がした。
「えっと・・・だれかいますか?」
幼いながらも失礼の無い様に敬語で話す。真暁の教育の賜物だ。しかし返事は無く、は首を傾げた。
「もどりかたがわからなくなったから、おしえてほしいんです」
やはり、返事は無い。
「なかにはいっても、いいですか?」
「・・・ッだめだ!!」
ようやく応答があったが、怒鳴るような声に驚き、身を固くする。だがやがて、今の声が子供の声であることに気づき、は襖に近づいた。
「じゃあ、でてきて?」
「・・・いや、だ」
「じゃあ、はいるね」
「・・・だめ。だめだ・・・」
中の子どもは拒んでいるが、はそれを聞かず、草履を脱いで縁側の下に隠し、そっと襖を開けた。
中は薄暗く、開けた襖から差し込む光と、僅かな灯篭の灯だけが部屋の中を照らしていた。
は襖を閉めて部屋の中を見渡した。そしてある一点で動きを止める。
「あなたがごびょうきのひと?」
部屋の隅でうずくまっている小さな影。と同じくらいの年頃だと思われる。が近づくと、小さな影がびくりと震えた。
「く・・・くるな・・・」
「どうして?」
「・・・びょうき、だから」
その答えには首を傾げた。
「よく、わかんない。どうしてびょうきだとちかづいちゃいけないの?」
「それは・・・」
本人もうまく言葉で言えないらしく、口をつぐむ。はすぐ近くまで行って座り込んだ。
「わたし、。あなたは?」
「・・・ぼんてんまる」
名前を教えてくれたことが嬉しくて、はぱっと笑顔になった。
「ねぇ、ぼんてんまる。かおをあげて?ぼんてんまるのかおがみたい」
「だめだ!!」
突然荒げられた声に、は再び固まる。
「どう、して?」
「・・・の、だから」
「え?」
「ばけもの、だから」
梵天丸の口から弱々しく零れた言葉に、の目が大きく見開かれる。
「ばけもの、なんて・・・だれが、そんなこといったの・・・?」
「・・・ははうえ、が」
「おかあさまが・・・?」
はまだ会っていないため、どんな人物なのかわからない。
だが、本当にそんなことを母親に言われたのだとしたら、どんな気持ちなのだろう。言われたことがないからわからない。
「・・・わたしは、そんなことおもわないよ」
「・・・うそだ」
「うそじゃないよ。ぼんてんまるは『ひと』だよ。ちゃんと・・・」
の手が、そっと梵天丸の頭に乗せられる。梵天丸はまたびくりと震えたが、は気にしなかった。
「こうやってさわれる、『ひと』だよ・・・」
ぽたり、と畳の上に何かが落ちた。
「・・・なん、で、おまえがなくんだよ」
「だって・・・だって・・・」
の両目から、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
「・・・・・わかった」
「え?」
梵天丸の言葉に、がぴたりと止まる。ゆっくりと上げられる梵天丸の顔をじっと見つめる。
顔が上がるにつれては笑顔になっていったが、すぐに悲しそうな表情に戻った。
前髪で隠れる右目には、包帯が巻かれていた。は前髪の上からそっと右目に触れた。
今度は大きく震え上がりはしなかったものの、梵天丸は小刻みに震えていた。
「ここが、びょうきなの?」
「・・・・・」
梵天丸はこくりと頷き、そのまま俯き気味になった。はさらに、右目を隠している前髪をよける。
包帯で直接は見えないものの、盛り上がっているように見え、その異常さは明白だった。
「・・・こわい、だろ。きもちわるい、だろ・・・?」
そう絞り出す梵天丸の声は震えている。
「・・・ぼんてんまる。こわくも、きもちわるくもないよ。ばけものなんて、おもうわけがない。だって、ぼんてんまるは、ぼんてんまるだよ」
「!!?」
梵天丸が顔を上げる。その顔は驚きと戸惑いに満ちていた。
「う・・そだ・・・」
「うそじゃないよ。なんかいだっていってあげる。ぼんてんまるは、ぼんてんまる。こうやってさわれる『ひと』。ぼんてんまるっていう、『ひと』だよ」
「・・・ッ!!」
梵天丸は不思議な感覚にとらわれた。父の口から発せられるものとも、小十郎や喜多のものとも違う。
重いモノが一気に抜けたような感覚と同時に、梵天丸は露わになっている左の目から、いくつもの涙をこぼした。
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セリフ 101〜150
※喜多→片倉小十郎の異父姉・伊達政宗の乳母(養育係)・愛姫の付き人
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